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自己紹介

そういえば、自己紹介を忘れていましたので、少し書いてみたいと思います^_^

youtubeで『飯田橋文学会 〈現代作家アーカイヴ〉 文学インタヴュー 第11回 宮本輝』のダイジェスト版をみつけ、有料記事を購入したのがnoteをはじめるきっかけでした。

購入するのにアカウントを作る必要があったので、どうせならここで文章を書く練習をしようと記事を書き始めました。

このような経緯なので、ここでは主に、小説家になりたいと思ったきっかけを書きたいと思います。

10年ほど前、私は離島でひとり生活をしていました。大学卒業時とくに夢のなかった私は公務員試験を受け1年間の就職浪人ののちに合格し、事務員として最初に赴任した先が離島の小学校だったからです。

そこで私を待っていたのは、仕事のできるパワハラで名の知られた女性校長でした。バカと言われ舌打ちされるのは当たり前。そんな中で数年、その人の下で働きました。自分で言うのもなんですが、知らない土地で懸命に働きました。最初の2年間「仕事ができないのだから残業代は出さない」と書類に判を押してもらえませんでしたが、先生方より遅くまで残り仕事をしました。本当に仕事が終わらなかったのです。やれば出来るようになるもので、最後には「あんたは教頭の仕事もやっている。印鑑はいくらでも押すから」と認めてもらえるようになり、信頼を得ることができました。晴れて地元の学校に赴任。しかし、張りつめていた糸がそこでプツンと切れてしまったのです。とても恵まれた環境だったので、自分でも意外なタイミングで休職することになってしまいました。1年間休職し、それから復帰。しかし体調が優れず、退職を決めました。

離島に勤務していた時から漠然と何か表現したいという気持ちがありました。友人と呼べる同僚や行きつけの飲み屋はありましたが本心をさらけ出せるほどではなく、家族や親友のいない場所での数年のあいだ感情をため込むようになった反動だと思います。

慣れない仕事で疲れ果て六畳もない1Kの部屋に帰る、そんな日々が何ヶ月も続くようになると「おつかれさま」「がんばってるね」という何気ない言葉がふしぎなほど胸に沁みました。

そのような離島での数年間は、私にとって、人は言葉によって傷つき、また言葉によって力が湧くということを知る期間になりました。このような経験を通して、言葉のもつ力、おもしろさ、可能性に目を向けはじめたことが、小説家を志す私の原点です。

言葉を使う仕事はたくさんあります。そのなかで小説家を選んだのは、離島での日々の過酷さゆえに妄想することが楽しかったからと思っています。こうだったらなぁ…、こんな人がいてくれればなぁ…ということばかりを考えていたのです。防衛本能なのか、脳が勝手に作りはじめた〝たられば〟のストーリーのおかげで、私の精神は崩壊することなく何とか窮地を凌ぐことができました。

こうして振り返ってみると、人生で1番苦しかった日々が、奇しくも自分の夢に繋がっていたのだなぁと少し感慨深くなります。

これは余談ですが、地元に戻るタイミングで結婚していましたが子どもはいなく、私の退職と同時期に夫も公務員を退職しました。夫は受験期間を経て国立の医学部に入学。夫の受験と学生生活をサポートしながら、小説を書き、最近ようやくひとつ小説を書き上げました。

言葉を通して何かを伝えたいと思って約10年、小作家になりたいと意識しはじめて約5年、はじめて書いた小説が長編だったので、一作書くのに3年。なかなか時間がかかってしまいました。

小説を書きながら、何度も、エンディングまでたどり着けるだろうか…、書き上がったとしてこの小説は面白いのだろうか…と投げ出したくなりましたが書き上げることに意味があると言い聞かせとにかく書きつづけました。期間をあけて5回ほど見直し、先月やっと応募。

まだ何の結果も得られていませんが、作品を完結できたことは自分にとって喜ばしく、何よりも自信になりました。

せめて一次選考くらい通っていてほしい…。そう願いながら、どちらにしてもここからだと気を引きしめて書くのみです。

現在妊娠9ヶ月目で、お腹もだいぶ大きくなり、思いきり小説を書くということはせずに、読書とnoteの投稿に挑戦したいと考えています^_^

そのうち、同じように文章を書くことが好きな人とつながれたらいいなぁと思いつつ…。

長い長い自己紹介を読んでいただき、ありがとうございました♩

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