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仮面ライダーに憧れて

『人間』という言葉はよく出来たものだ。
僕達は他者がいて初めて自己を認識できるところがある。
他者と比較して自己を認識する。
他者との相互作用から良くも悪くも影響を受ける。
僕達はお互いのその『間』に在るものやそこから生じるものによって、ヒトから人間となっている気がする。

ではその『間』にあるものとは何なのだろうか。

思想家の吉本隆明によるとそれは”幻想”であるという。
自己に対する「自己幻想」。
家族や恋人、友人など一対一の関係に対する「対幻想」。
そして、集団に対する「共同幻想」。
僕達は上記の3つの幻想を抱いて自己・他者・社会と関わっている。そしてこの「関係の絶対性」からは逃れられない。

また批評家の宇野常寛は著書『砂漠と異人たち』で現代社会に対して興味深い指摘をしている。
それは、現代人はSNSという相互承認の閉じられたネットワークの中にいるということである。
つまり、SNSというコミュニティでは問題そのものよりもそこで得られる「イイね」やリツイートといった”承認”をいかに数多く得るのかに主眼が置かれたゲームと化しているということで、その”承認”を得ることで自己肯定感を得るという、まさに幻のようなことが起きているということだ。

この提言を見てハッとさせられた。
僕自身もこのnoteとTwitterのユーザーだが確かにスキやリツイートが得られると嬉しく、それらの”承認”があまり得られない記事やツイートは「良くない」ものだったのかと気落ちすることが多々ある。正直に言うとどうしたらもっとフォロワーが増えるのかという考えに囚われた経験もある。

しかし、それこそ”幻想”なのだ。

他者との相互承認に対する拘泥は、それによる自己承認・自己肯定であり、その数(フォロワーやイイねやリツイート)が多いとき「何者かになれた」気がする。他に対して影響力のある何者かに。

それは現実に本当に影響力(多くの場合、動員力)を持った実際の人物がいるからで(例えば著名な起業家など)、”何者かになりたい”僕達も彼ら/彼女らに影響を受けた一人だからだろう。

それは子どもの頃に僕が仮面ライダーに憧れたことと本質的に変わっていない。

問題は当の仮面ライダーが何であるのかをちゃんと考えていないことだ。

それは砂漠=「此処ではない何処か」を求め続けたアラビアのロレンスに通じる。本当に砂漠に来ても、此処に何があるのかをきちんと見ようとせず、此処に居ながら「此処ではない何処か」を常に求める。恐らく何処に行っても「此処ではない何処か」を求め続ける。
注目すべきはロレンスが一時的にでも英雄になれたことだ。求めていた「何者か」になれた。にも関わらず幸せになれなかったのだ。

では”何者かになりたい”僕達は、いわば”道半ば”のロレンスだ。僕達は今没頭しているSNSのイイねとリツイートの相互承認のゲームの果てに幸せになれるのだろうか?

恥ずかしながら、僕はこの問題についてリアルな体験感覚をもって理解できる(できてしまう)。つまり、僕もロレンスのように(スケール感は全く違うが)常に「此処ではない何処か」を求め続けていた経験がある。
上場企業を辞めた後の2度の転職がそれだ。
ムハマド・ユヌス氏のような社会起業家に憧れて、世の中のソーシャルビジネスの実業家達に憧れて、「もっと社会にインパクトがあることがしたい」と、その『もっと社会にインパクトがあること』の中身をよく考えもしないまま、今居る場所に何があるのか・誰がいるのかをよく見ようともせず、地に足がつかないまま「俺がいるべきなのは此処じゃない」とフラフラしていた。

このときの僕は間違いなく”幻想”の中に居た。
仮面ライダーに憧れ続けていた。
そして、もちろん幸せではなかった。

今もそうなのかもしれない。
仕事に関しては以前よりは地に足がついたと認識しているが、イイねとリツイートとフォロワーが増えれば仮面ライダーになれるんじゃないかという”幻想”の中にまだ居るのかもしれない、と時々思う。

こうして整理してみるとこの”幻想”がロジックとして間違っていることが理解できる。
イイねとリツイートとフォロワー集めに没頭しても仮面ライダーにはなれはしない。それらは仮面ライダーの変身ベルトではない。

誤解なきように言っておきたいがSNSを否定しているわけではない。
フォロワーが多い人やスキ・イイねをたくさん集めている記事をバカにしているわけではない。
ただフォロワーやスキ・イイねを集めること自体が目的になることは幸せに本質的に繋がっていないということが言いたいのだ。

だから宇野氏の言うSNSの相互承認の閉じたゲームの果てには幸せはない。と僕は思う。

ロレンスは砂漠を求めながら、「砂漠とは何か」をちゃんと考えなかったから、「何者か」にはなれたのに幸せになれなかった。
僕達は未だ「何者か」になれていない道半ばのロレンスだ。
求めている砂漠とは何か?なりたい仮面ライダーとは何か?まずそれをちゃんと考えないと、フワフワした”幻想”をいつまでも追いかけるハメになる。
そして、その「何か」はイイねとリツイートとフォロワーを集めても辿り着かない。

影響力のある人になるからフォロワーが増えるし、いい記事を書くからスキ・イイねが付くのである。
フォロワーを増やすにはどうしたらいいか?スキ・イイねをもらうためにはどういう記事を書けばいいか?は本質的にズレている。
それでフォロワーやスキ・イイねが増えてもきっと幸せになれない。

そんなことを宇野常寛著の『砂漠と異人たち』を読んで想ったのでここに綴ることにする。

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