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公共の福祉

「公共の福祉」という言葉がある。我が国の憲法にもしばしば登場する。
僕は福祉家なので「福祉」の意味を探究したいが、もう一つそういえば「公共」って何だ?という疑問を持ったので調べてみることにした。

まず個人的に公共性を考えるときに最も入りやすい言葉が「公害」だと思う。
公の害・・・公共性が脅かされたときに生じる害悪のこと。大気汚染であったり、水汚染であったり。つまり、公共性とは人類にとって必要なもので脅かされると人類全体にとっての害悪=「公害」が発生するのだ。

これを逆算すると「人類社会全体の利益」=公共性と言える。

ここに僕がたまに言う「超少子高齢化や介護の問題は環境問題と同じレベルで社会課題だ」というのと通底するものを感じる。
わかりやすいところでいくと税や保険料負担の問題がある。今は介護が必要な人達に比べて支える働き手世代がどんどん減っていく時代になっており、この現象は今後も続く(人口構造がそうだから)。ということは社会全体の介護にかかるコストは上がり、つまりは働く世代一人ひとりの税・保険料が上がる。財政赤字は将来世代に持ち越され、僕達の子どもや孫、その先にまで影響を及ぼす負の遺産になる。
一方で実際に介護が行われる現場では、人材不足が物理的に生じ、介護者一人ひとりの業務負担が増えることで、必然的に介護サービスの質が低下せざるを得ない。
つまり、誤解を恐れずに言うと「お金を多く払って質の悪いサービスを受ける」状態になるということだ。そしてそれは今は「お金を多く払って」いるだけで実感があまり湧かないかもしれないが、やがて必ず「質の悪いサービスを受け」ることになり否が応でも実感することになる。
このことから、超少子高齢化や介護・福祉に関わる様々な問題は人類全体が考えなければならない問題公共性の問題だと言えるのだ。

ただ今回は公共性について考えたいので、いったん介護問題は置いておいて、公共性の意味である「人類社会全体の利益」とはどうやって決まるのだろうかを見ていこう。

そこで公共性が発展したきた歴史的変遷を簡単に見てみると次のようになる。

個 ➡ 共同 ➡ 公共

個人が私的生活の再生産を行っていたのが、他者と共同生活をするようになり、そうすると自然に様々な利害が生じ、それらを個別で調整していたものが普遍化していき、公共性となった、という変遷だ。

公共性とは結局のところ様々な価値判断の出会い、葛藤を通じてその合意というか止揚としてひとつの公共性というものが出てくる。

『公共性の政治経済学』(1989年 自治体研究社 宮本憲一著)

上記の定義が最もわかりやすい。
その合意や止揚を経て形成された公共性を"人類全体の幸福”という文脈で述べるとき「公共の福祉」となるが、そこには大変興味深い事実がある。

それは「公共の福祉」の機能は本質的に『制限』だということだ。
「人類社会全体の利益」などと聞くと何か広がっていったり、獲得したりといったプラス方向のイメージが湧いてくるものであるが、実はその機能は「制限する」といったマイナス方向のベクトルなのである。

「公共の福祉」という概念には二面性があります。(中略)
一面では公権力の行使を個別的な利益や権利に優先させ、それによって国民の権利を制限するはたらきをもちますし、他面、(中略)利権や特権を国民の上に確立しようとする動きに対してこれらを制限するという側面をもちます。

同前出

つまり言い換えると、前者は公権力が私権を制限する機能であり、後者は私権を支配しようとする(公権力を含めた)大きな権力を制限する機能である。
こう聞くと相反する両極において綱を引っ張り合ってるのが「公共の福祉」のような印象を抱くが、僕はもう少しだけ違った形を想起する。上述の場合に出てくる権利は「個別的な利益や権利」と「公権力」の二者だが、僕の考えでは登場人物はもう少し増える。それが以下の通り。

①小さな私権:個人の権利
②大きな私権:企業や団体などの大きな法人の権利。また歴史的には貴族や領主、地主などもここに含まれる。
③公権力:主として行政の権力。

この三者が三者間や内々で互いに優先したり、制限したり、上に立とうとしたりしているのが社会での力動である。

〇例えば、自分がめんどくさいからとゴミをそこら中に捨てることは、カラスがごみ袋を食い散らかし、街の清潔が損なわれ衛生面も脅かされることに繋がる。これは小さな私権が他の多くの小さな私権を損なうパターンである。これに対しては公権力が法に基づいて制限することになる。
〇例えば、企業が人件費削減のため外国に工場を建て、少年少女に過長時間労働させることは、大きな私権が小さな私権を損なっているパターンである。
これには小さな私権同士が共同・連帯したり、他の大きな私権の力を借りたり、公権力に訴えたりして、当該の大きな私権を制限する。
〇例えば、公権力が行う事業(公共事業)として創設したインフラによって騒音問題や汚染問題が起こることは公権力が多くの小さな私権を侵害しているパターンである。これには小さな私権同士が共同・連帯することや、他の公権力に訴えることで制限しようとする力が働く。
といった具合である。

憲法の条文などでよく目にする「公共の福祉に反しない限り」とはこういったことを表現した文言だと言える。
また上述の例えのパターンでもわかる通り実際のケースでは、権利が脅かされる対象は小さな私権になることが多い。そこに制限をかけるのも「公共の福祉」の重要な機能だと考える。

ここで問題となるのが「どうしたら公共の福祉に反していないのかがわかるのか」ということだが、それは公共性の憲法的価値である「人権」「民主主義」「平和」が有るのか否かで判断する。
つまり、①生存権をはじめとした基本的人権を侵していないか、②国民が主体的に参加できる手続きを以て決められているか、③社会の平和に貢献するものであるか、である。

こうして見てくると、福祉国家を社会サービスや社会政策の多寡で量るのはおかしいし、福祉の実践者であるソーシャルケースワーカーの仕事は社会制度や社会サービスを用いることそのものではないということがわかる。
権利の主体が、他のそれらから侵害を受けないように「人権」「民主主義」「平和」の視点を以て制限する機能を有しているか否かが福祉国家の定義であり、また実際現場においては脅かされやすい小さな権利の側に立って、同じく「人権」「民主主義」「平和」の視点を以て権利擁護の支援を行っていく(逆の見方をすれば、他の権利を制限する)のがソーシャルケースワーカーの仕事だと言えるのである。

<参考文献>


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