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私淑というものをしてみたかった

私淑というものをしてみたいと思った。

日本美術の流派のひとつである“琳派”は私淑で成り立っているという。
琳派の代表的な絵師には俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一らがいるが、彼らは師弟関係にあったわけではない。それどころか生きた時代も被っていない。宗達が没して15年後に光琳が誕生しており、光琳の没後45年後に抱一が誕生している。彼らは宗達の、或いは光琳の作品を見ることで、私淑という形で影響を受け継承してきた。

私淑とは直接教えを受ける訳ではないが、師としてその功績に学ぶことだ。
私淑というものはなんて便利なものなのだと思った。例えば私が絵描きで、400年前を生きた宗達を尊敬してその作品から何かを学べば、私淑したということになる。いや、絵描きでなく全くの初心者でも、今から宗達の作風に学びながら絵を描くことを始めたら、宗達を私淑したことになるのではないか。

宗達を私淑できるなんて、かっこいい!
しかし私は絵描きではないし、これから琳派風の絵を始めようとも思わなかったので、「では誰を私淑しよう」ということになった。

ところが誰も思いつかなかった。私は絵が描けないだけでなく、誰かを私淑するほど情熱を持って取り組んでいるものが何にもなかったのだ。誰も私淑できないまま、「私淑というものをしてみたい」という想いだけを抱き続けていた。

相変わらず何もないまま何年も過ごしていたあるとき、近所に“シェア型本屋”ができたことを知る。シェア型本屋とは、店内に設置された棚の1つを借りて棚主となれば、その中で自分の好きなように本を販売できるというスタイルの店だった。私はその店の棚主の1人になった。大好きな赤瀬川原平さんの著書を売りたいと思ったからだ。

赤瀬川原平さんは前衛芸術家で随筆家、小説家。『老人力』『超芸術トマソン』などのベストセラーで知られ、小説『父が消えた』では芥川賞を受賞している。私が赤瀬川さんの著書と出会ったのは市営の図書館だった。赤瀬川さんが有名な日本美術の作品について論じている本だった。いや、論じてはいない。自由に好き勝手に書いているというのが近いかもしれない。その、「好き勝手に」が良かった。

特に日本で最初期の洋画家・高橋由一についての記述は笑った。由一は油絵に「左官」や「豆腐」を描いたが、赤瀬川さんはそれについて「え!?それを油絵に描くのですか」とツッこんでいた。また、他の著書では「鮭」と「豆腐」を取り上げて「ナマ乾きの由一」と表現していた。確かに由一の絵の多くは独特のテカりがあり、それが特徴でもある。

その本を読んだ頃、私は日本美術史専攻の学生で、アカデミックな美術しか知らなかった。それはそれで嫌いでなかったけれど、この一冊でがらりと世界が変わった。
「こんな文章を書いてみたい」と思った私は実際に何度か書いてみたのだが、赤瀬川さんの真似をして美術のことを語ったものの似ても似つかない駄文ばかりだった。あれから修行のつもりで、多くの美術作品を見たり、文章で生計を立てたりしたが、結局何者にもならないまま歳月が過ぎた。

そして一昨年からシェア型本屋で赤瀬川さんの本を中心に美術関連の本を売りながら、美術のことを書いた手作りのフリーペーパーを自分の棚で配布し始めた。不定期に発行して10号を超えたが、読み返すとなかなかの力作だ。赤瀬川さんとはまた違うけれど、自分なりのユーモアを盛り込んでいる。そのユーモアが読者にうけているのかは今のところわからないけれど、自分で書いたものなので自分の感性のツボにはぴったりハマっている。

ふと私は、赤瀬川原平さんを私淑しているのだと気づいた。知らず知らずのうちに赤瀬川さんを私淑して、ゆっくりと自分の表現を確立してきた。私淑というものをしてみたい。そんな若き頃の想いを叶えた、ということなのだろう。

#創作大賞2024 #エッセイ部門 #赤瀬川原平 #琳派 #美術


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