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【2020年】2歳と4歳を置いて5日間入院した話(後編)

こんにちは、ユキッ先生です。

さて、こちらの記事の後編になります。

手術にするか、投薬治療にするか

家族はタクシーで帰宅し、夜遅くまで待たされて疲れた子どもたちはなんとか寝てくれたのを夫に確認。私も突然困ったことになったな、家庭のことや仕事のことを考え、寝つきの悪い夜をベッドで過ごしました。

翌朝、消化器内科の担当医がいらっしゃいました。いわく、程度はお腹のなかを見てみないけども、比較的早い段階での発見だったのではとのこと。そして、治療方針として、「手術で取り除くか、もしくは投薬で異物を散らして様子見をするか?」という判断に 迫られました。

いま、盲腸手術は開腹ではなく、全身麻酔での腹腔鏡手術というのになるらしい。後者は手術リスクはないにせよ、再発リスクは手術より高くなると聞きました。また、継続的な投薬をしながらの体調管理が必要なので、入院が伴うことには変わりなく、仕事に早く復帰できるわけではないとのこと。

実は私、出産は2回とも帝王切開だったこともあり、  外科的手術についてはさほど抵抗感がないんです。あと、「帝王切開で入院手術保険の給付金が降りた」という経験をしているため、総合的に勘案して、手術を受ける方向で決断し、午前中にそのように伝えました。

術前説明を聞いた夫のほうが倒れそうになって医師と患者に心配される

当日午後、さっそく手術をすることになりました。 おへその部分から棒状の器具を体内に挿入して異物を取り除く、というのが腹腔鏡手術です。

事前に家族の同意が必要なので、夫が駆けつけてくれましたが、「人間のデリケートな部分の痛みの話に非常に弱い」うちの夫が、 執刀医の説明を聞いているうちにみるみる気分が悪くなってしまい、真っ青な顔で病室ソファーに3分ほどぐったり横たわってしまいました…。

おいおい、ヘソに実際穴開けられんのこっちやぞ。自然分娩でも絶対立ち会いできないタイプだな(いまさらだけど)。執刀医と患者は、その瞬間だけは家族のほうが心配になりました。

帝王切開の時は半身麻酔でしたが、今回は全身麻酔になるので、手術中の記憶はまったくありません。

既視感のある手術と術後の過ごしかた

手術による麻酔から覚めた時に、足にはエコノミークラス症候群を防止するためのマッサージ器具がつけられていました。これは帝王切開の時と同じだったので、妙な既視感を覚えました。その後、手術痕を定期的にチェックしつつ、療養食を段階的に開始して、自力で歩いてトイレ行けるようになるまで歩行練習を行う、という一連のプロセスが、出産の時とほとんど一緒だったので、「あ、これ進研ゼミで見たやつだ!」的な慣れが生まれていました。恐ろしい。しかも授乳とかないなら、回復は余裕では? という謎の自信すらありました。

予習バッチリだったのと個室の便利さもあいまって、順調に回復し、翌日にはよちよち歩けるようになりました。ベッドのなかでは、仕事で必要なツールの参考書を読んだり、たまたま直前に申し込んでいたテキストカウンセリングのテキストを書いたりして、ゆったりと入院生活を過ごしました。

夫が子どもを連れてくるかな、と思いましたが、それはそれで離れがたくなるだろうし、微妙な距離のある面倒さもあって、入院中のお見舞いはなかったです。まあそれで良かったと思うよ。

さすがに人生を考え直した5日間の入院生活

病棟のなかでも高階層の部屋だったので、 歩けるようになってからは、窓からの景色を眺め、ぼーっとすることができました。
テキストカウンセリングは、当時職場で発生していた人間関係上の問題を解決したくて利用していたのですが、まさに人生を見直す絶妙なタイミングとなりました。


職場のほうも、たまたま別件でプロジェクトが動きにくい状況にあって、私が不在にしていた期間は関係者にはもちろん感謝しかないわけですが、レギュレーション的に診断書要否の境目である「3営業日以内の休み」に収まり、なんとか笑顔で復帰することができました。

父子だけの5日間はどんなものだったのかな

さて。
当時2歳と4歳だった子供たちが、およそ4日半、突然お母さんがいない日々を過ごすはことになったわけです。後に夫から聞いたところによると、「二人とも毎日素直に保育園に行って、とってもいい子で過ごしていたよ」ということでした。

ええええええ。母の本音の本音では、「寂しい淋しい~~!いますぐ会わせて~~~~~!!!」と父を困らせ、暴れまわってほしかった、ような気もします。態度に出してないだけで、きっと寂しい思いや我慢をさせてしまったと思います。
一方で、お父さんとの結びつきはその時に俄然強くなった印象はありました。いまでも私がお迎えする9.5割の日と、夫がお迎えする0.5割の日とでは、素直さが全然違うけどな。

夫は、職場に家庭の事情を相談し、お迎えのために毎日早めに仕事を終えられるように配慮してもらったようです。いわく「たまたま繁忙期でなかった」ということで、ここも不幸中の幸いだったのだと。日々の晩ご飯は、コンビニで子どもも好きなパスタを買ってきて取り分けるなどして、なんとか乗り切ってくれました。

後日、近所のお店で「盲腸の…」と呼ばれる

また、週末は3人で近くのお店などに出かけて、「お母さんは入院中」という世間話の延長で、地域の人にも優しくしていただいたようです。

実際、 後日それらのお店に私が訪ねると、「盲腸(のお母さんですよね?)…」とつぶやかれること複数回。
でもそうして閉じこもることなく、半分ぐらいネタにして周囲に上手に助けを求められるのが、夫の良いところでもあるなと再確認しました。
それに較べたら、術前説明で貧血になって倒れたこととか、全然ちっせえことですよ、全然。

ちなみに、義母はわが家から電車で2時間半ほどの街に一人で住んでいますが、夫はこの時にはヘルプをお願いしなかったみたいです。
義母に泊まりでヘルプをお願いしたことは過去に1回しかなくて、それはこの件の約1年前、飼い猫のサクちゃんがうっかり部屋から外に脱走して行方不明になってしまい、3日後にほとんど死にかけてる状態から生還して、2~3か月、動物病院への通院と、自宅介護を必死にしていた時期でした。
あれは本当、夫婦ともども非常にしんどかったです。 治療費もばっさばっさと飛んでいくし(そっちのダメージが多分デカい)。いまではすっかり回復して、「サクちゃん」と呼んだら「ンナ゛ーーーー!」と返事をしてくれるという個性も戻りました。

というわけで、私は翌年(今年)のバリウム検査を免除してもらいました。というよりも、来年以降は健康診断、どうしましょうね。もう使える制度がないですね。
ひきつづき健康には気をつけて、家族を大切に過ごしてまいりたいと思います。

おしまい。

カバー写真 / 病棟から海側を望む、海は見えないけど(2020)

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