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アベノミクスで物価上昇に追いつきつつあった賃金

昨年末のC101コミケで発表した『デフレ脱却戦記4 安倍晋三元総理追悼号』の一部をご紹介します。
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アベノミクスで物価上昇に追いつきつつあった賃金

 金融緩和がどう効いたのかをグラフで見ていきます。企業がどれだけ雇用を増やしたのかを示すために、5%への消費増税と財政緊縮が始まった橋本政権下の1997年を比較の基準にして、「物価上昇(総務省:消費者物価総合)」と「日本全体で支払われた賃金の合計(内閣府:総雇用者所得)」を比較したグラフです。

 まずデフレ局面が始まります。1997年から金融引き締めと緊縮財政が進む中で、デフレが進み、賃金は物価の下落よりもより速い速度で下落しました。(=実質賃金が低下)

 二つのグラフが一番離れた(=実質賃金が低下した)時点は、太い縦線で示した2012年12月でした。

 上にある点線が「消費者物価指数総合」です。海外からのエネルギー価格など輸入物価も入れた数字です。97年を100としていますが、2012年12月では96.3と3.7下落となっています。一方で、「総雇用者所得」=日本国内で雇用者すべてに支払われたお給料の合計は87.7で12.3下落しました。12.3-3.7=8.6で、1997年と比較して、2012年12月では8.6%ポイントも賃金の価値が落ちたことを示しています。この差が開けば開くほど、名目賃金から物価上昇分を差し引いた実質賃金がマイナスになってしまっているのです。

 コロナ禍の直前となる2019年12月では、物価が102.9、賃金が101.5であり、2014年に消費増税をしてなかったとすればほぼ1997年と同じ実質賃金にまで戻って来ていたわけです。「消費増税さえしなければ」と私がよく発言する意味が分かっていただけると思います。

 また、デフレはいいことだと思っておられる方がよくいるのですが、このデータで分かるように、わが国のバブル以降の経済の動きを見ると、物価の下落のペース(3.7ポイント下落)よりも、日本国内で支払われる賃金の合計の方が速いペース(12.3ポイント下落)で落ちていくのです。公務員や一流企業のように倒産や賃下げの危険性がないのであれば別ですが、非正規雇用者も含めた日本全体で考えると、デフレ下では物価が下がるよりもお給料が下がる方が速いため、デフレは経済にとってマイナスなのです

 実はこの太い矢印がある2012年12月は当時の民主党政権が、安倍晋三率いる自民党に衆議院選挙で敗れた月です。当時、2012年11月に安倍晋三さんと、当時の野田総理が党首討論対決し、野田氏が「衆議院の解散をする」と明言した瞬間に、安倍晋三政権が近く誕生し、その結果金融緩和政策がとられることが予想された結果、それまでの異常なドル安円高が急速に是正され、円安が実現されました。その結果、一気に株価や土地、不動産価格などの実物資産の価格が上がり、企業が活気づいて日本経済全体が改善の方向に動き出したのです。それほど「金融緩和をやるぞ」という政策当局の意思が経済主体に対して将来に対する展望を変えさせることで大きな効果を示したということが分かります。この状況はコロナ禍が問題となる2020年2月まで続きました。

 もう一点興味深いのは、この総雇用者所得のグラフからは2014年4月の消費増税の影響があまり見えないことです。企業の生産活動を上げ、それに伴って雇用も増えるという意味での経済への刺激の力は消費税の悪影響を差し引いてもそれ以上に大きなものが異次元の金融緩和にはあったことが分かります。消費増税の悪影響は国内の消費には大きく出ましたが、海外への輸出をできる企業があるために国内の需要が減っても企業の生産活動にはダメージが薄まるのでしょう。最近の増税論議でも、財界は内需を損なうことが明白であるにもかかわらず消費増税を押しているのはこうした理由があるからでしょう。

実質賃金は非正規が切られるほど伸びる

 よく「実質賃金がアベノミクス上がらなかった」とおっしゃる方がいます。これも単純な誤りです。

 総務省発表の「実質賃金」について、なにか「真実の賃金」といった意味合いで受け取っておられる方が多いようです。しかし、「実質賃金」は、「平均賃金」を物価で調整したものにすぎません。この場合の「平均賃金」が曲者なのです。

 働く人の中には低賃金の非正規労働者の方もいれば、比較的高賃金の正社員の方もいます。この非正規と正社員の構成比率が変わることによって「平均賃金」は変わります。具体的には非正規労働者の方が労働者全体に占める割合がどんどん減れば減るほどほど「平均賃金」は上がるわけです。正社員と比較して非正規は真っ先に不況になれば解雇されむしろ正規社員ばかり残りますので、非正規の割合が下がる現象は不況で起きる現象です。つまり不況になれば平均賃金は上がることになります。いくら失業者が増えても平均賃金というのはなかなか下がりません。

 これはエコノミストとしての基本的知識です。こうした実質賃金の性格に無自覚な議論はよく雑誌などでも見られます。例を挙げると野口悠紀雄東京工業大学名誉教授も「物価が上がらないのが問題なのではなく、実質賃金が上がらなかったことが問題だ。」[1]と主張しておられます。実質賃金の動きに頼って賃金の問題を論ずることは難しいのです

初めて正規雇用も増えた

 アベノミクス批判のもう一つの典型として非正規雇用が増えただけではないかという批判があります。「アベノミクスの最大の功績は雇用を増やしたことだと喧伝されている。確かに失業率や有効求人倍率は大幅に改善した。だが一方でこの間に実質賃金は下がり続けた。見えてきたのは、日本経済に巨大な不安定労働市場がビルトインされ、賃金が上がりにくくなっている中で、異次元金融緩和などの物価を上げようとした政策が働き手にはむしろマイナスの影響を及ぼした実態だ。」[2]といった主張です。しかしそれも完全な誤りです。

(令和4年版 労働経済白書より)

 左のグラフで非正規雇用は単調に増加しているのと同時に、正規雇用は2014年まで減り続けて、その後は単調に増加を続けていることが分かります。つまり、アベノミクスの効果が十分に広まってから正規雇用も非正規雇用もぐんと増えているわけです。特に正規雇用はアベノミクス開始後に初めて伸びました

 まず景気が良くなって生産を増やすためには、①残業を増やすが雇用は増やさない。次の段階になっていよいよ残業増やすだけで対応できなくなったら雇用を増やすのですが、②いつでもカットできるアルバイト、派遣などの非正規雇用を増やす、それでも需要が強く生産を増やしていくと会社が決定したら、つまり本格的な景気回復になったと判断すれば、③正社員を増やすという順を追います。わが国では正規雇用と非正規雇用の賃金差、調整されやすさに差があり、こうした現象が起きます。わが国でアベノミクス導入からタイムラグをもって2014年から正規雇用が伸びるのはこうしたメカニズムが背後にあります。

貧乏だからみんなが働きに出ているのではない

 「日本人が貧乏になり必要に迫られて働きに出ているから就業者が増えているのだ」とする批判もあります。労働を需要と供給に分けて考えて、この議論を整理すると、企業側の労働の需要は変わらない一方で労働の供給が増えているという趣旨です。となれば数少ない限られた雇用の機会、職を人々が争うことになり、企業が提供する賃金は下がるはずです。しかし現実に起きていることはその正反対で、時給もあがり、人手不足も進んでいます。

 現在は毎年最低賃金も伸び、例を挙げれば、東京都下ではアルバイトの時給は特に飲食業では1500円近くでもなかなか応募がないとのことです。また、2016年春頃から目につくようになったのですが、就職活動が盛んな時期に電車の中を見回してみると、BtoBの会社がわが社はなにをするのかを紹介する吊り広告やCMが目につきます。これはBtoCの会社が自社の製品を購入してもらいたくて行っているものとは目的が異なり、これから就職活動をする学生さんに自社を売り込み、就職活動で足を運んでもらうためのものです。つまりそれだけ人手不足が進んできたということです。就職氷河期を避けることができたことは大変喜ばしいことですが、皆に染みついたデフレマインドを克服するためにはまだまだこの状態を続けなければなりません。

人口減少が原因で雇用が好調なのではない

 日本は人口減少の中にあります。15歳から65歳未満の生産活動人口は減り続けています。人口が減少しているからあるいは団塊の世代が退職したためにその穴埋めのため雇用が好調なのではないかと主張する方々もいます。

 これまでの人口減少論といえば、藻谷浩介氏の「デフレの正体」にあるような、生産年齢人口が減り、活発に消費する現役世代が激減するため需要不足となる結果デフレになるのであるからアベノミクスの金融緩和はデフレ脱却には無効だとする主張でしたが、この10年の事実に反駁され次第に支持者を失ったのでしょう。いずれにしてもデータの根拠がないアベノミクス批判という意味では同工異曲です。

 労働供給が減ったから、見かけの上で雇用が好調なのだと考える議論についてですが、日本の人口自体は確かに減少していますが、労働力調査による就業者数でみると2012年12月の6263万人から10%への消費増税が行われた2019年10月には6786万人と500万人以上伸びています。つまり働いている人口はむしろ増えているのです。人口減少の中で就業者が増えているのですから、単なる人口減少論には説得力がありません。

 また、団塊の世代の退職が原因であれば、会社の正社員の年齢構成ですので、何年も前から分かっていたことです。ノウハウや技能の伝承の観点からも退職のもっと前から雇用を増やしていたはずですし、そもそも団塊の世代は1946年から数年間の生まれですから、当時主流であった60歳定年退職であれば2006年から、割合にすればさらに少ないですが65歳定年であれば2011年からそれぞれ数年間にあたるはずです。ところが2011年も2012年も雇用は大変厳しかったのです。アベノミクス憎しの思いのあまり、こうした単純な事実を忘れてしまったのでしょうか。


[1] 株価は上がったのに賃金は下がる…日本人をどんどん貧しくしている「円安政策」という麻薬 野口悠紀雄「アベノミクスによる円安が、日本経済を破壊した」 2022年3月17日

[2] アベノミクス雇用増の虚像、「低賃金・不安定」な働き手が残された証拠 西井泰之 2020.10.6



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