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食事についての変化

食べることが大好きで、美味しいものを食べたり自炊することに幸福を感じる人間だった。

最近食に関して変化が起こったので、そのことについて書いていきたい。
以前の私は、過食気味だった。

今日はすごく頑張ったから、精神的に疲れたから、そういった理由でご褒美として自炊したり、コンビニで買った2人前くらいの料理を食べて自分を満たして、労っている気になっていた。

食べ過ぎることは悪いことではないが、私は過食に求めることが間違っていたんだと思う。


※ここからはあくまで私個人の経験談なので、何かを提示する気はありません。ただの思考の垂れ流しです。

最近、食事に以前ほどの喜びを感じなくなった。
原因はよく分からないが、私にとって過食が自傷行為だと明確に自覚したことが関係しているように思う。

どういうことか説明すると、
私自身が肉体的、精神的に落ち込みが激しいと更に貶める行為(仕事や人に迷惑がかからない領域に限る)をしてドン底になってからまた上がろうという気力が湧くタイプの人間だからということが前提にある。
ストレスが溜まる→発散として過食しセロトニンの分泌による幸福感に依存した気になっていた。一見、幸福度を上げるための行為のように見えるが、ただ量を食べるというだけで食の質を疎かにしており、食事自体への喜びは感じていなかったのでは?と今になって思う。
また食べすぎると当然体重が増える。太ると体の調子が悪くなったり、着たい服が似合わなくなったり、諦めることが増えたこともストレスになっていた。
過食後期は、食べ過ぎると太るが今が本当に辛いし、これ以外にないから仕方ないと泣きながら食べることも多々あった。自分を傷つけているという自覚があったのだ。同時に本質的な発散になっていないことも分かっていた。
だから私にとっての過食は落ち込んでいる自分を更に貶めるための自傷行為であったと言って、間違いはない。
気づいたというより、今まで気づかないふりをしていたという方が正しい。

そんなことを数年繰り返した結果、食への執着がなくなった。
美味しいを感じにくくなったからだ。
本質的な解決にはならないと自覚しながら、質が伴わない食事を繰り返していたからだと思う。
そもそも食は生きるために必要なことであり、自分を貶めるための活動ではないから、間違ったことを繰り返していただけだった。
自分のせいとはいえ、食べること自体はとても好きだったので人生の喜びが一つ減ってしまったと落ち込んだりもした。

ただ今はこれでよかったと思っている。
身体やメンタルのコントロールが以前より容易になったからだ。
自分にとって無意味な過食をすることもない。結果、体重も減り続けているし、食べ過ぎによって体調が悪くなることもない。着たかった服も似合うようになってきつつある。
以前の私は食べないと辛いし食べることも辛かったが、今は生きるための最低限の食事を摂ると割り切っているので、食べるという行為のストレスが激減した。
食への向き合い方が変わったのだと思うことにした。
美味しいと感じることが減ったとはいえ、全く感じない訳ではない。
自分にとってプラスになることの方が多いので、前向きな変化であることは明らかだ。

最近は週末にチーズとオリーブをつまみながら飲むお酒は何よりも美味しいし、幸せだと感じる。
食に対して少し変わったこれから起きること全てが楽しみだ。


0517_進化+


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