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心理士の活用と活用され方

今回は主に非常勤心理士と非常勤心理士と一緒に仕事をする方向けの話。
最近は正規職員の心理士も増えてきたが、週何日勤務の方も多いと思う。そこでの動きについて感じていることを書けたらと考えている。また、なるべく対人援助職の方に心理士の扱い方を知ってもらえるような話にしたい。

そもそも何を期待して良いの?

職場に週1回ないし月1~2回心理士がくるけど何を頼めば良いのかわからないって思う対人援助職の人はいると感じる。
勿論、ある程度のコミュニケーションも出来るしお互いに印象も悪くない。
心理士の動き方が決まっている職場ではこのようなことは少ないと予想されるが、非常勤の心理士がたまにくる職場では往々にして使い方がわからない現象が起こりやすい。決まった面接はあるがそれ以外は暇な時間が生まれる。
この場合、不都合はないが何か釈然としない雰囲気もある。また、その雰囲気もあるのか非常勤雇用故に心理士も入れ替わりが多く。結局、これだという使い方がわからないまま色んな心理士が過ぎていき、その時々の面接や検査をお願いする。もしくは心理士だが他のスタッフと変わらない仕事をしてもらう。

最近は心理士の役割も明確になってきており、他職種連携を前提としている働き方にもなっている。とはいってもそれは心理士側の話であり一緒に働く側からは未だに不透明な部分はある。
昔は心理士のアイデンティティーとして心理検査が出来ることが挙げられた。実際に医療系や発達支援の世界では検査の理解がないと採用されにくい。検査のような分かりやすい仕事はお互いにコミュニケーションのしやすさが生まれる。
ただ、心理面談となると話は変わってくる。
対人援助職となると面談をして関係性を作り情報収集をすることはみんながやることである。その為のノウハウやスキルも職種ごとに研鑽されている。しっかりとしたマニュアル本も各職種ごとにあることも見受けられる。
そこであえて心理士の面談をいれることによって何が生まれるのだろうかと疑問がある。もしくはそこに期待があるのかもしれない。
ここで、心理士は疑問を払拭し期待に応えると職場としたら仕事をしたと見られる。
ただ、おそらくは完全に払拭することもなく、かといって全然ダメだったという感覚でもないことが共有されるのではないかと予想される。
なので、相談者が求めるまま心理相談をすることになり徐々にそのケースは心理士が抱えるようになる。
これはこれで仕事の負担がひとつ軽くなったと考えられるのかもしれないが、見通しが見えない。勿論、心理士に現段階のアセスメント、今後の段取り訊くと答えてくれるだろう。
おそらく、心理士に対して最初に期待できることは、このような心理的な支援とその先の対人援助のための段取りを考える材料を提供することだと思える。

ただ、正直なところわざわざ心理士を使わずとも各々のスキルや知識、経験で事を進めていくことは可能だと考える人もいるだろう。
その通りになのかもしれないし、多くの心理士も感じている。付け加えるならば、それぐらいにあらゆる対人援助職の専門家の具体的な支援に対して頭が上がらない。

心理士に伝わる寓話

大学・大学院で心理学を学び心理士になった人たちは学生時代に幾つかの心理士の伝え聞きがあると思う。

  • 居場所がなくても居続ける

  • 心理士を不要と言われても仲良く

  • 雑談から関係性作り

思い付く話の要素を抜き出すとこのような感じだと考えている。どれもが心理士をあまり必要とされていない場所で活動した系の話である。
最初の「居場所がなくても居続ける」は心理士が導入されはじめた施設などで伝わる話。導入当初は専門的な仕事もないが、じっとしていることにより色んな利用者に声をかけられるようになったという話であり、心理士の受容的態度の大切を説いたものと言われている。

次の「心理士を不要と言われても仲良く」の話は、利用者とスタッフからの二つのバージョンがある。どちらも心理士に対して怒りに近い感情で接して、心理士の仕事のしてなさを訴える。それに対して心理士は腹を立てずにニコニコと話を聞いて会話をする。そうすることでいずれ本音を話してくれるようになった。スタッフ相手なら仕事を任せてくれるようになったという話である。
これも受容的態度、傾聴の姿勢、転移の問題などを説く話として語られる。

最後に「雑談から関係性作り」の話だ。この話はなかなか相談に繋がらない利用者に対して心理相談的な会話ではなく、日常的な会話を繰り返すことにより関係性を深めていき支援に繋げることが出来たという話である。
これは心理士が会話のなかで信頼性を深めていくこと、雑談のなかから心理的背景を推し量ることが説かれる。

これらの寓話は無力な心理士が職場のなかで心理士としての立ち振舞いを示しており、有用なものであるという訴えにも聞こえる。
もし、心理士と一緒に仕事をしている人がいるなら覚えておいて欲しい。心理士は意外と心理っぽい動きにこだわっている。
なので、精度は一先ず置いといて、ただの雑談でも何かしらのアセスメントをしていたりする。しかもそういうところに矜持を持っていたりする。

上記の寓話に対して一定の割合で「私は心理の仕事にこだわらずに色んなことをしてます」という心理士もいる。職場や領域によってはそうじゃないと話にならないこともあるだろう。おそらく、そのなかでも心理士的な視点は持ったまま動いていると予想する。

プロ意識と扱いやすさ

さて、最近では寓話のような極端な状況はなくとも心理士はどんな時も心理士的な仕事や考え方にこだわっている。
これを一緒に働く側の視点で考えるといかがだろう。常にプロ意識を持ち専門的な見方をしてくれて頼りになるという風に思ってくれたら幸いだと感じる。ただ、おそらくそれだけではないことも感じる。
私は「心理士だから」という意識を持ち、他者へのリスペクトを持ちつつも心理的な物の見方で会話される。わかったようなわからないような感覚にさせられる。自分なりの解釈を伝えると正解かどうかわからないまま言葉を重ねられる体験をして、仕事に対してありがたさが持ちにくくなる。

仕事をしてもらい有難いと感じるためにはその結果に明確さが欲しい。
私たちは相手がどんな仕事をするのかをイメージできるから安心して任せられる。そして、見事に終わらせた時に感謝の念が生まれる。逆にイメージと違うものが出てくると怒りや不満が生まれ二度と仕事を任せないか文句を言って修正をしてもらう。
プロに仕事をお願いするというのはこのような流れが一般的だと思っている。

同僚や上司として心理士に関わる時、終わりのイメージが共有できているのだろうか。どうなるかわからないけど心理士っぽい仕事をお願いしようと思ってボールを投げていないだろうか、そして心理士も心理士っぽい仕事だからとりあえずボールを受け取っていないだろうか。
これが良くわからないまま心理業務が始まる流れのように感じている。
ただ、これは心理士と一緒に働いている援助職を批判しているわけではない。この流れの根本的な間違いを犯しているのは心理士の方だと感じている。つまり、プロ意識はありつつも心理士は商品説明が曖昧になっている。

心理士っぽいことと何でも屋

先の寓話のように綿々と続く心理士っぽいことは無価値そうな動きに実は価値があり、それをしっかり実践することは難しい。という曖昧な話が見え隠れする。
それに対して同じ心理士でも嫌悪感持つ人はおり、反作用のように何でも屋を買って出る心理士もいる。職場としては優秀な何でも屋がいてくれると大変便利なのかもしれない。もし、給料を払う立場でなかったら、長くいてくれたらと思う。ただ、給料を払う立場だったらもっと安い何でも屋を探すことを検討する。

これは完全なる邪推だが、時折すごく安い時給の心理士の応募がある。この背景には綿々と何でも屋の心理士がいた場所ではないかと感じている。
勿論、売り上げとの兼ね合いが一番の理由だとは思っているが、副次的要因にそこがあるのではと想像する。あくまで邪推である。

話を戻して、心理士の扱い方は二つの極を行ききする振り子になる。心理士っぽいことにこだわるのか何でも屋になるのか、この二つを揺れ動く。
結果としては各職場のいいバランスで適応してもらうのがひとつの完成系となり、業務は回っていくのかもしれない。
ただ、これだと結局、心理士をあえて雇うメリットは少ないかもしれない。施設や領域によるかもしれないが、それならその職場でメイン職種の人を一人増やした方が単純な負担は軽減されるだろう。
教育領域では教師、医療福祉ならPSWやOT.PT、介護士などのようにメインどころが増えた方がメインサービスが手厚くなる可能性は高いうえに上司や管理者として扱いが明確である。

心理士の仕事は火入れに似ている

ここまで読むと心理士不要論に感じるかもしれないが、決してそういうわけではない。
ここから心理士の使ったら便利な点を伝えていきたい。
というのも滲み出る心理士の扱いにくさは心理業務の不明確な点が大きいと思われる。これにはひとつ訳があり心理療法の学びは各流派めいたものがあり、心理士ひとりひとりが言っていることとやっていることが微妙に異なるように見える。そこがさらに心理士の不明確さに繋がる。
ただ、彼らの根本は実はそれほどぶれていない。アプローチが多種多様であるが、やっていることは変容を促す媒介者である。また、その変容に自由度があるのが心理療法の特徴でもある。
多くの対人援助職は明確な専門性により完成形が決まった支援が必要となる。教師ならある一定の学力の保証や社会性、PT.OTなら生活機能の回復や維持、PSWなら医療福祉サービスに繋げ維持させる等々。それぞれの役割とゴールがある。
その役割を全うする時にどうしても上手く行かない利用者がいる。それに対して自身の力不足を感じることもあれば、利用者へのネガティブ感情に支配されることもあると思われる。ただ、それでも何とか関わりをもって職務を全うする。
なかなか心身ともに擦りきれる思いをされていると思う。
そこで心理士の活用を検討して欲しい。そもそもだが、上手く行かない利用者への支援で困難さを感じるのは環境的要因と本人要因がある。環境の方なら戦いようも諦めようもある。本人要因の場合、膠着状態になりやすいうえに頑張れば頑張るほど絡まっていく。
そこで変容が役割の心理士を投入することにより、状況の変化を促していく。少なくとも膠着状態の脱出を図れる。
心理士によってアプローチは様々で何が起こっているのか良くわからないかもしれないが、注目ポイントは心理士ではなく利用者の方であり、態度や状況の変化が起こりはじめている。
料理で例えるなら火が通ってきた状態になるので、そこで各専門家の方が味付けをして完成まで持っていって欲しい。
ちなみに良くも悪くも心理士は火を通すだけなので、放っておいたら焦げ付くこともある。これが心理士が一人でケースを抱える状態である。
勿論、心理士からも声掛けをすると思うが火入れで放置せずにある程度見極めて味付けに移行して欲しい。
これは困難ケースだけでの活用ではなく多くのケースでも活用していただき、利用者に火入れをして援助にあたってもらうと時短にもなる。そうなると職場全体としての動きも活性化すると予測する。

本来のサービスを提供するために

今更の話で申し訳ないが、対人援助職においてサービスをおこなう際、利用者は自らもしくは家族がサービスを求めてきているのに乗り気でないことがある。
それはサービス入れること=今が完璧ではない、goodではない。
それを認識させられる体験である。実質、サービスが始まったとしてもなかなか話が出来ない要因のひとつになる。
勿論、これに対しての理解や対応は各職種や個人の親切さで乗り越えていくことが殆どだと思う。ただ、それには時間もエネルギーがかかる。そこで心理士の活用である。
このように利用者も援助者もちょっぴり苦い思いをして取りかかるケースがある。しかもこれは少数派でもないと思われる。
そんな時にこそ苦味を共に感じつつ、少しでも苦味をマイルドに変えていく役割を担うことができるのが心理士だと考えている。
ただ、この説明も心理士の仕事内容の明確さに欠けると感じる。
少しだけ具体性をもって伝えるとしたら、利用者と援助者の間で認識のズレが生まれはじめたら相談もしくは導入の検討をして欲しい。利用者が望んでいる方向と援助者の専門的考えはズレる。そのズレをサブとして間に入り修正し本来の質のいいサービスを提供出来る土壌を作り上げるのが役割である。
それは心理士の変容を促す専門性が発揮されやすい作業であると考えている。

これらの仕事はある意味は恒常的な仕事ではないかもしれない。むしろ、可能な限りこの作業はなしにスムーズに利用者へサービスを届けていけたら良いだろう。だからこそ、職場によっては常勤ではなく非常勤の雇用が丁度いいのだろう。
そうなると時々来る心理士の使い方としては、その日までに溜まっている利用者との上手くいかなさを共有されてはどうだろう。きっと、何かを変える見方や動きを見いだすだろう。
そうすることで皆さんの本来の能力が発揮され利用者に質のいいサービスを提供できると感じている。

最後に心理士側の他職種連携は公認心理師の登場によりさらに重要視されていると思う。それに合わせて様々なマニュアルや書籍が出ているが自分の職場にピッタリ合うものはなかなか少ないと思う。
ただ、他職種からすると心理士というのは不明確さが大きい。特に非常勤心理士は頻度の少なさからも扱いもわからないものである。
心理士の寓話のような出来事もあるかもしれないが、背景には現実的な地道な諸先輩方の活動があったと信じている。
そのなかで非常勤心理士はサブとしてメインの仕事を遂行されるためにしっかり活用されることによって心理士の見方が輪郭を帯びてくると考えている。

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