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「もう、死んでるね。」

「もう、死んでるね」
こんなことが私におこるのか?信じれるはずがない。
目の前が真っ白になった。今まで大切に育ててきた赤ちゃんがもう私の体の中で死んでるなんて・・・。
ありえない・・・・。
でもどんなに涙を流しても、何をしても
もう私の赤ちゃんは帰ってこなかった。
それは私にとって史上最強に辛い出来事だった。
 


私は8歳の男の子を持つ、シングルマザーで元看護師。
子供を産んでからなんとなく日本に不信感を持ち始めて、コロナあたりからもう日本に居たらダメな気がして、息子と出国し、メキシコに移住した。
メキシコに来た理由は、たくさんあるから省略。
簡単に言うと憧れてたから直観で来てみたら見事に当てはまった。
だけど、スペイン語も英語も話せない私は大変苦労した。
話せないくせに異国で住もうなんて気ちがいだ。
と私も思う。
それでもメキシコに住んで日本より幸せを感じることができた。

 私はいわゆる毒親育ちという分類で育った人間の一見。
自分に自信がなくて、コミュニケーションが苦手で、いつもダメな男を引き寄せてしまうのだ。
幼いころはいつも母親に勉強や習い事を毎日押し付けられ、よく出来たらお金や物を与えられていた。優等生が一番えらいと教え込まれていた。
毎日勉強して看護師になりなさいと言われていた。
心から褒めてもらい一緒に喜んでくれたことはなかったせいか、今でも誰かに褒められると泣いてしまうのだ。
そして、いつも友達の家庭が羨ましかった。
なぜ、親と楽しそうに話してるんだろう?なぜ一緒にテレビを見てるんだろう?
すごくうらやましかった。
私は自分の部屋を持った小学生低学年頃からテレビもあり、電話もあった。
家に帰ればすぐに自分の部屋にこもる事ができた。
だから親とは必要以上に会話はしずにきた。
まだ私は素直だったから、優等生になりたかった。
友達にも負けたくなかった。
だから勉強が好きで運動も好きで、成績はずっと上位だった。
 中学生になり、すごく好きな人ができた。中学校でトップクラスのヤンキーだった。
遊んでいることが親にばれて無理やり別れさせられた。
私の話なんて聞こうともしてくれなかった。
そのまま彼は施設送りになり会えなくなった。
私は、とてもつらい傷を負い、大人達に憎しみを覚えた。
それから私のヤンキー街道は始まった。
 

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