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病によるキャリアの再構成① ー3回の治療の過程で変化していった病の意味

先週の月曜日(3/29)が1回目の抗がん剤投与でしたが、その後、副作用は心配したほどひどくありません。寝込んだのは1日だけ、体の痛みや吐き気などもありますが、我慢できる程度です。

これまでの治療では、だいたい三日目から五日目ぐらいをピークに、食事もとれずに寝込む日があったのですが、薬がよくなっているのでしょうか?

まずは、1回目の副作用期間を乗り越えられて、ほっとしています。治療のたびに、医療関係者の方々、医学の発展や薬の開発に貢献されている方々へ感謝です。

では、本題に入る前に、この記事の意図するところについて。

最近、社会構成主義について関心が高まり、「社会構成主義かぶれ」になっています。
社会構成主義では、対話による意味づけを重視しますが、病や治療、セラピーなどの臨床の場では、意味の再解釈というところに焦点があたります。
例えば「癌」という言葉。医学的な病名としての意味のほか、死に直結する恐ろしい病の代名詞としての意味合いもありましたが、今では「治療と仕事の両立」の代表格となりました。
社会的な意味だけではなく、私個人の中でも、その意味は変化しています。
経験を物語として語り、意味の再解釈、再構成を行うのがナラティブ・セラピーの手法です。
それにならって、3回の間にどのような意味の変化があったのか、書いていきたいと思います。

1.1回目の発覚ーキャリアの障害となる恐ろしい病

最初に発覚したのは、2017年12月。病状としてはステージ4のぎりぎり手前と言われました。
1回の手術では腫瘍を取り切れないので、抗がん剤治療期間を間に挟んで、
できるだけ腫瘍を小さくしてから、2回目の手術をするとのこと。

ドクターに、「これ薬が効かなかったら死ぬってことですかね? その場合、余命はどのくらいですか」と聞いたところ、
「1年ぐらい」と言われました。

その後の、私の感情の変遷は大きく三段階にわかれます。

①死ぬことへの恐怖

当時40代半ばで、それまでは「死ぬこと」について現実的に考えたことがなく、かなり恐怖を感じました。
わりと感情の動揺が少ないタイプなので、原始的な部分から沸き起こってくるような、言葉では説明のできない恐怖というのを、初めて体験した気がします。
うっかり自分の症状をネットで調べようものなら、正誤入り混じった不吉な情報が入ってきて余計に恐怖を煽りますので、平静を保つために、病気について調べることはやめました。

最も気になったのは、親のことです。
私には兄がいたのですが、数年前に病気で亡くなっています。
その時の親の嘆きを考えると、また同じ思いをさせるなんてことはしたくない。万が一の場合、一体なんて伝えたらいいんだろう・・・
そう思い悩みながら、結局今日にいたるまで、病気について両親には伝えていません。

②副作用の苦しみ

抗がん剤の投与後、10日前後ぐらいの間、吐き気、だるさ、頭痛、節々の痛み、体全体がぞわぞわするような気持ち悪さなど、様々な症状が出ます。

そうした体調的な辛さに加え、髪が抜けることは非常にストレスでした。

全部なくなるまでは、抜けた髪の処理も大変です。
当然、髪を洗う時にも大量に抜けますが、流すわけにもいきません。
髪の量って、こんなにも多いのか・・・とため息をつきながら、まとめてゴミ箱に捨てる。うっとおしい日々がしばらく続きます。

そして、身動きできずにずっと家にいると、一日が長い。一週間はとてつもなく長く、一カ月は終わりがこないのではと感じられるほどでした。
抗がん剤投与の回数を数えては、「まだあと〇回もやらなければならないのか・・・」と何度も考える。
髪が抜け、眉毛やまつ毛も抜け、体は痩せてガリガリで、自分の姿を見るのも辛い。顔に毛がないのって、結構不気味なもんです。

こういった辛さというのは、なかなかわかってもらないものだなぁ・・・と感じたのは、
「髪はまた生えてくるからいいじゃない。」
治療を終えて復帰できることになった時には、
「(10カ月ほどの治療期間は)あっという間だったね!」
という言葉。
前者は励ましの意味を込めたものですし、後者は治療が無事終わったことを喜んでくれての言葉です。
まったく悪意がないのはわかっているのですが、やはり当事者にしかわからないことってあるのだな、と痛感しました。


③キャリアビジョンがみえなくなってしまったことへのショック

私は当時、中小企業診断士の資格を取得するため、東洋大学大学院に設置されている養成コースに通っていました。
仕事をしながら、平日夜間や休日に2年間通い、無事卒業できれば資格が取得できるのですが、発覚したのは2年生の卒業前。

私の計画としては、卒業したらキャリアコンサルタントの資格を取り、会社は辞めて人事系コンサルタントとしてスタートしようと思っていたのです。

ところが病気になってしまったため、キャリアコンサルタントの養成スクールに通うことができない。
一緒に学んでいた同期生たちが、卒業して次のステップに進んでいくのを横目で見ながら、自分は身動きできない。

会社組織にうんざりしていたこともあり、40代半ばのおばちゃんではありますが、未来に向けて期待をふくらませていた時だったのです。卒業したら早々に独立に向けて動こうと思っていたのが、先の見えない状態になってしまい、これもかなり苦しみました。


こうした変遷を経て。

結局、通信教育でできる社会保険労務士の勉強を始めてみたり、そして試験には落ちてみたり、ということもありましたが、治療については無事に終わり、10月からは復職。

1回目のこの経験は、予想外に発生し、私を苦しめた障害であり、それでもなんとかのりこえたもの。
治療を終えて、「完結した過去の物語」として位置づけられました。



長くなってしまったので、続きはまた次の記事にします。

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