見出し画像

【第8回】シナリオ分析実践ガイドSTEP2-1:移行リスク(その2)

 前回は、TCFD提言において例示されている4つの移行リスクの種類のうち、「政策と法」について紹介しました。今回は、残りの「技術」「市場」「評判」の内容を紹介します。

1.技術

①    既存の製品やサービスを排出量の少ないオプションに置き換える

 GHG排出量が大きい長期の有形固定資産を保有している場合、技術革新によりGHG排出量の小さい資産が開発され、耐用年数がまだ十分あるにも関わらず、新資産への置き換えが進む可能性があります。このように、まだ使用可能であるにも関わらず、GHG削減のような社会環境等を背景として将来の資産価値が下落する資産は「座礁資産」(Stranded Assets)と呼ばれています。
 現時点では、そのような技術開発が確立していないため、従来の技術に基づく長期資産に新規投資せざるを得ない企業にとっては、座礁資産リスクは大きなリスクの一つに挙げられると考えられます。

②    新技術への投資の失敗

 各国のNetゼロ宣言を受けて、各企業レベルでもNetゼロを宣言する企業が増えています。ただし、Netゼロを実現するためには、新たな技術開発が行われることを前提としている企業もあります。このような企業は、研究開発に相応の投資を行っていくと思いますが、投資が成功しない可能性もあるため、TCFD提言では、新技術への投資の失敗をリスクの一つとして挙げてはいます。
 一方で、急速に進む脱炭素化の拡大によって、新たなビジネスチャンスが創出されるため、TCFD提言は、新技術開発のための投資を機会としても取り上げています。

③    低排出技術に移行するためのコスト

 GHG排出量が低い企業活動へ移行するにあたり、移行後の手法そのものの検討や変革に伴う追加コストが発生する可能性があります。これも②の新技術の投資への失敗と同様、リスクやコストを上回るようなプラスの機会を創出するために、コストが先行することがリスクとして挙げられています。

2.市場

①    顧客行動の変化

 気候変動に対応していない企業や製品が、顧客から選ばれなくなってくる可能性があると言われています。特に、いわゆるZ世代は、上の世代に比べるとESGへの意識が高く、新聞やニュースでもZ世代の意識が取り上げられる機会が増えています。
 1円でも安くという価格だけではなく、気候変動への取り組みの巧拙も、顧客の選択の要素になりうる、ということを反映したリスク項目だと考えられます。

②    市場シグナルの不確実性

 市場(マーケット)シグナルは、アメリカの経営学者マイケル・ポーターの代表的著書「競争の戦略」の中において使われている用語で、「企業の意図,動機,目標,もしくは社内状況の直接・間接に示す行動を言う」と定義されています。競争相手が同品質の製品価格を大きく引き下げてきた場合には、この行動をシグナルとして、マーケットシェアを一気に拡大しようという競争相手の意図を読み解く、といった例が挙げられます。
 気候関連の影響が拡大すると、これまではマーケットシグナルと捉えられてきたものが、従来の解釈に結びつかないという不確実性が増加するかもしれません。伝統的な市場分析手法を行ってきた企業にとっては、従来の常識が通用しなくなるリスクも考慮に入れる必要性が出てくる可能性があります。

③    原材料コストの上昇

 前回の2.「政策と法」①でご紹介したGHG排出の価格付けは、GHGの価格が賦課された原料や製品の価格を上昇させますが、GHG価格が直接上乗せされた原料・製品だけではなく、これらを原料として生産された製品や、仕入れて販売する製品等にも間接的な価格上昇の影響が及ぶことが予想されます。また、GHG排出価格の間接的影響以外にも、GHG排出量の低い企業活動への移行に伴って発生するコストなどが転嫁される可能性もあります。更には、これらのリスクは、予想しないスピードで顕在化するリスクも考えておく必要があるかもしれません。
 自社のバリューチェーンを分析した上で、直接・間接的なコスト上昇のリスクについて、検討しておくことが重要と考えられます。

3.評判

①    消費者の好みの変化

 TCFD提言の脚注において、「各分類の下位分類のリスクは、相互排他的ではなく重複がある」との説明があり、「消費者の好みの変化」は、上記2.①の「顧客行動の変化」とほぼ同じ内容のように思われます。
 もう少し細分化して考えてみますと、消費者の好みの変化が行動の変化を引き起こし、その結果として、気候変動に対応していない企業や製品の需要が低下するリスクがある、という順序で影響が生じるのではないかと考えられます。

②    産業セクターへの非難

 GHG排出量の多い産業に属している企業の場合には、顧客が購入先・調達先をGHG排出量の少ない産業へシフトする等により、販売量が減少するリスクがあります。また、このような産業に属している場合、投資家側の行動変化により、資金調達コストが上昇するといった、売上に与える影響だけではなく、費用の上昇を引き起こすリスクも想定されます。

③    ステークホルダーの懸念の増大、またはステークホルダーの否定的なフィードバック

 企業の主要なステークホルダーとしては、顧客・従業員・株主・取引先、が挙げられますが、これに加えて、特に将来の従業員や投資家も範囲に含めて検討することが重要ではないかと思われます。
 例えば、GHG排出量が多い産業に属している企業の場合、将来のキャリアが見えにくいという理由で新卒採用に苦戦したり、現在の従業員に関しても、特に若手から他業種へ流出する等、将来的な人材不足に陥るリスクがあります。投資家に関しても同様に、このような産業に属している場合、長期的な成長が見込めないといった理由で、長期投資家から敬遠されたり、現在の投資家からも株式が売られる、いわゆる“ダイベストメント”のリスクがあると考えられます。

 次回は、もう一つのリスクカテゴリである「物理的リスク」の内容をご紹介する予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?