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素のままでいる勇気

自分の考えに自信がないときや、なにかヒントがほしいときによく占いを頼りにしています。

わたしの場合、ある程度の安心材料を集めつつもほとんど自分のアンテナに響く方を選ぶ傾向にあるので、

俳優でいう佐藤隆太さんあたりに「あーもう!もどかしいんだよおまえ!いいからいけよ!!待っててやるからさ!」と最大級の笑顔で背中を押されるっていう感じを欲しています。(伝われ)

当たる当たらないというよりは、声のトーンや、使われる言葉が自分のライフスタイルとなじむ人をフォローしているといった感じです。

前職での仕事がうまくいかず悩んでいた時に、YouTubeで見つけたタロット占い師さんの言葉にいたく励まされました。

転職の後押しになったといっても過言ではないくらい。


その占いで、ここ最近どのチャンネルでもやたら立ちはだかってくる言葉があります。

「あなたはそのままでいいんだよ」

「恥ずかしいかもしれないけど、素をさらけ出していこう!」

素を出してしまえばとても気持ちがいいし、充実感を得られることは理解しています。ただ世間体を気にしたり、受け入れてもらえないのでは、という考えの方が強く、誰にでも見せられるわけではありません。

失敗したときの周囲からの反応を恐れ、事前準備や努力を見られるのに抵抗があります。鎧レベルでがちがちに固めるほどではありませんが「お洒落、常識人、冷静」というキーワードのもと活動してつくりあげたエプロンくらいの布を常に身に着けています。


洋服が大好きなわたしのクローゼットには基本的に1軍の服しかありません。毎シーズン服の断捨離をします。流行を意識しなくなったクローゼットを見ると、わくわくを感じている感性が死んでいると認識し、恐怖を感じるからです。

その辺に着ていくかわいいスウェットというものが存在しないので、家の中ではパジャマか読売巨人軍関連のTシャツを着用しています。

ある日家のチャイムが鳴り、モニターを見るといつも来る郵便配達員さん。

ふと自分の服を確認する、着ているのは友人が送ってくれた阿部慎之助引退記念Tシャツ。(ごりっごりの阿部慎之助ファンです)

わたしはクローゼットへ走り無難なブラウスに着替え、御髪と息を整えながら返事をし、無事優雅に郵便物を受け取りました。(補正あり)

クローゼットに戻るとそこには横たわる背番号10。

ああ、わたしは愛する人より自分のイメージを守ってしまったのかと激しく後悔したのです。

もちろん、友人知人には、阿部慎之助ファンであることは大きな声で主張しています。

球場でも大きな声で歌います。(コロナ禍前)

それでもやはり、趣味を知られないであろう距離感の人に向けてさらけ出すことはできませんでした。もしかしたら、郵便配達員のお兄さんも読売ファンで、会話が弾んだかもしれないのに。(アンチ巨人だった場合でも違う意味で盛り上がりそう)


そんな中、先日前職で仲の良かった同僚二人とランチを食べに出掛けました。

それなりにウィットに飛んだ会話で楽しい時間を共有しました。秋冬の服も買いに行きたいよねなんてきゃっきゃしていたのです。

同僚A「これ、Bから誕生日にもらったんだよ」

同僚B「かわいいでしょ、このブランドゆかりも好きだったよね」

わたし「まぁー!」

普段の口調とは明らかに違うトーンに二人は一拍置いて大爆笑。いつからそんなおばちゃんみたいなリアクションを取るようになったのかと目の前で腹を抱えています。

自分でも驚きました。なんだ今のは、と走馬灯を駆け巡ろうとしましたが原因はすぐに見つかりました。


主人と出会って5年、生活を共にしてもうすぐ3年になります。基本的に言葉数は少ないですが、わたしと一緒にいるときはよく感情を出してくれます。(赤ちゃんの人見知り期みたいな紹介)

・わたしが友人と、ちょっといいランチを食べてきた

「まぁー!(妬み)ゆかりちゃんばっかり!」


・美味しいと有名なお店のケーキを買ってきた

「まぁー!(嬉しい)」


・今日の晩御飯はチキン南蛮だよ

「まぁー!(宴)」(食べることしかねぇな)


おわかりいただけただろうか

感情をすべて「まぁー!」に乗せてくるのです。

ほぼ毎日。気づかないうちにわたしの生活で「まぁー!」が刷り込まれていたのです。

その日から、わたしは自身から「まぁー!」を撲滅すべく「まぁー!」を言う毎にペナルティとして貯金箱に100円を入れるという決まり事をつくりました。

するとどうでしょう。

2日間で300円貯まりました。

何度唾を飲み込んで言葉を探ったかわからないくらい、わたしは日常生活で「まぁー!」を多用していたのです。

感情を刺激されると息をするように「まぁー!」が出た時には恥ずかしくて床をのたうち回りました。(無垢床の我が家、木のいい匂いがしますよ)


長年培われた実績に加え、コロナ禍な上にフリーランスとなってからは社会人として他人との接触が極端に減りました。結果、主人との会話が一番多くなってしまったことにより、外部と内部とで切り替えるスイッチが機能しなくなったのが大きな原因でしょう。(コロナの影響力がこんなところにも)


そして10月現在。

またしても占い師から降りかかる「素の自分をさらけだせ」によって

気づいたのです。

これか、「まぁー!」のことか。

これさえ受け入れずに素なんて出せるのかという御触れなのか。

(いやこれはわたしのじゃないぞ、主人に影響されただけでわたし自身ではないともうひとりのわたしが叫んでいる)


確かに、「まぁー!」を聞いた同僚はその日一番笑っていた。

その件で貯金をはじめたんだと伝えたらさらに笑ってくれたし、「わたしはいいと思うけどね(笑)」ともいってくれた(プギャーしとる)

さてどうしたものか、と、とりあえず顔も知らない人に伝えてみようとnoteに書いてみました。


素をだすってとても難しいし、勇気がいります。

嫉妬や焦り、羞恥は自我を知るのに絶好のチャンスであると同時に、どう向き合うかが大切になっていきます。

自らの主張に、嫉妬からちいさくトゲをつけてしまうと相手には悪意が全面に出てしまい、受け取ってほしい形ではなくなってしまいますし、恥ずかしいからと閉じこもってしまえば相手と関わる糸口を見失い、離れていってしまいます。

本当に伝えたいことが何なのか、何をしたいのかを探し出し、ほこりを払ってきちんと言葉や態度にすることで、はじめて「素」になるのかなぁと考えています。

自分が何をしたいのかがわからない、ということも、今わかっている「素」である事実だと理解してあげるとちょっと楽になれます。

種類のちがうショートケーキを選ぶとき、誰も希望を口にしない微妙な時間を味わうくらいなら、チョコレートケーキを取り合って本気の顔でじゃんけんした方がよっぽど楽しいし、負けたからといって次点のモンブランは意外と今の気分に合っているかもしれない。

素の自分で相手と向き合う楽しさを実感できると、いつしか人の輪が広がって思いもよらぬ場所に連れて行ってもらえたりするから、人生は侮れません。

わたしはWebライターとして、人としてこれから少しずつ「素」を積み重ねながら、自分の言葉で紡いでいきたいです。



「まぁー!」の扱い方は、もう少し考えます。

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