ノンセク漫画を読んで

小学生の読書感想文みたいなタイトルになっちゃったな。

今日TLで見かけたこの漫画についてぬぼーっと考えたこと、そしてLGBT+に関連して自分がふだん思っていることを、思考の整理がてら書いてみようと思う。

これはある種デリケートな話なので、できるだけ間違いや失礼のないように書くつもり。が、私もまだ勉強中の身なので、もし読んでいて気になったところがあったら教えてくれると嬉しいです。それから批評の際に原作を引用することに関しては出典元を明記していればOKという認識でいるんだけど、それも問題があるようだったら同じく教えてください。


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私は「アライ」だ。

人によっては耳慣れない言葉だと思うので、以下にWikipediaの引用を貼っておく。

ストレート・アライ(英語: Straight ally)とは、人権の平等化や男女同権およびLGBTの社会運動の支援や、ホモフォビアへの異議を投げかける異性愛の人々を指す言葉。LGBTなどの当事者では無いが、LGBTなどの人々が社会的に不利な立場に置かれていると感じ、ホモフォビアやヘテロノーマティビティ(異性愛を標準と捉える価値観)に対する解消活動や異議の表明を行っている支援者。文脈上ストレート・アライを指すことが明確な場合は、単にアライ(ally)とも言う。

要するに、“当事者ではないけれど”LGBT+の味方をしている人のことだ。

私が初めてLGBT+当事者からカミングアウトをされたのは高校生のときで、ネット上で知り合った知人からだった。当時既にLGBT+に関して多少の知識はあったけれど、知人の存在によってそれを「身近なこと」として認識したことは、今思えば私がアライを標榜するきっかけのひとつだったのかもしれない。

それから5,6年の月日を過ごすうちに、LGBT+当事者の知人は何人か増えた。新しくできた知人がそうだったこともあったし、旧来の知人がそうだと知ったこともあった。

そのなかに一人、「ノンセクシャル」の友人がいる。

ノンセクシャルとは、恋愛感情は持つが性的欲求を持たない人を指す。

つい先日、別の知人と話していたときに「え、本当にそんな人がいるの?」と驚かれたから世間的な認知度はそれほど高くないのかもしれない。こと身近に当事者がいる(ことを知っている)人はごく少数だろう。

私は、友人がノンセクシャルとして他者と関わりあいを持つことに生きづらさを抱えていることを知っていた。だから冒頭の漫画を読む気になったし、それについて考える気になった。そして「ノンセクシャルの友人がいるアライ」の目線でこの漫画を読み解いていくことは、多少なりとも誰かに考えるきっかけを与え得るのではないかな、という少々傲慢な思い付きから、私なりの読み方を書いていくことにする。


というわけで、この先には冒頭の漫画を読んでから(そしてできれば何かしらの感想を抱いてから)進んでほしい。読みましたか? 読みましたね? ではいきます。


この作品に対する反応をぱらぱら見ていると、「ノンセクを尊重していない!これを切ない良い話として消費するのはグロテスク!」っていう意見が多くてびっくりしたんだけど、私はこの話を「ノンセクを尊重していない人間がこの出来事を切ない良い話として消費するグロテスクさ」自体を描いた話だと感じた。

うーん、書き方が難しい。伝わるかな。

この漫画のテーマは
「美しく切ないすれ違いの物語」ではなく、
「相手のセクシャリティを理解しようとせず、自分本位で傷つけたことを『美しく切ないすれ違いの物語』として美化するマジョリティ側の傲慢さ」という一歩メタ的な部分にあると思うのだ。

だってそうじゃなかったら、「半年後に別の男と付き合って1週間で処女を捨てた」なんて“美しくない”側面を描く必要がないから。この話の中の村井さんは、徹底してエゴイスティックで自分本位な“美しくない”マジョリティとして描かれている。それは明らかに意図的なものだ。

村井さんには、峰くんを理解する気がなかった。
「自分はノンセクシャルであり、セックスできないしキスもできればしたくない」とカミングアウトされたうえで交際を了承しているにもかかわらず、内心では性的なつながりを期待し続けた。表立って要求をしなかった理由も、「また怒られたら……って思っちゃって」「無意識に地雷踏んだりして冷や水ぶっかけられたくなくて」だ。“相手が嫌がるから”ではなく、“自分が怒られるのが嫌だから”。峰くんが具体的に何を避けたいのか知ろうともせず、“地雷”と呼んでただ遠ざけた。

そして最終的には「キスしてくれたら別れてあげる」といって、峰くんを試した。

彼女は「キスをせず、別れない」ことを期待して、こんな発言をしたんだろう。
それでも峰くんが「キスをして別れる」ことを選んだのは、そもそもその前に「村井はいつでも別れていいからね」と言い出したのは、村井さんがプラトニックな(=肉体関係のない)付き合いに限界を感じているのを知っていたからだ。「合コンでも男紹介でもしたげるからさ」という友人に、村井さんが「万一そうなったらお願いします……」と返しているのを聞いて。


そんな峰くんの犠牲にも自分の無理解にも無自覚なまま、峰くんを傷つけたことを「美しい思い出」にしてしまう村井さんのグロテスクさたるや!

峰くんがあくまで村井さんのためを思って身を引いたことが、最後まで自分のことしか考えず、マジョリティの世界へ戻っていった村井さんの傲慢さを引き立てている。
この二人の対比もまた、この作品が描きたかったところなのだと思う。

付け加えるなら、村井さんの友人という明確な批判者の存在によって、村井さんの残酷さが覆い隠されている、というのも重要な観点だと思う。
村井さんの友人のような人が「LGBT+に冷たい人」だというのは誰もが感じるところだが、峰くんを理解しようとせず自分の欲求を押し付ける村井さんもまた“無自覚に”「LGBT+に冷たい人」に他ならない。彼女のような人は、現実世界においてもわかりやすい差別主義者の陰に確実に存在している。そしてその数はたぶん、悲しいほどに多い。
その可視化されづらさというのも、マジョリティ目線の“良い話”として描かれたこの作品が示唆しているところなのではないかな。


ここまでの感想を、私は前述のノンセクシャルの友人にぶちまけた。

「この二人がうまくいかなかったのって『ヘテロ(=異性愛者)とノンセクだから』じゃなくて『村井さんがヘテロの常識を捨てられなかったから』だと思うんだけど、それを美化する村井さんってエゴのかたまりじゃない!?」

そう憤る私に、友人はこう返した。

「マジョリティがマジョリティの常識を捨てられないのは普通なのかなと思っている。相手には悪気はないし、悪いのはやっぱりこっちだなって認識はある」

友人は以前にも、「ノンセクである自分が悪い」という言い方をしていた。「左利きの人がご飯食べるときに右利きの人と腕がぶつかって、あ、ごめん、ってなる感覚」と同じような感じらしい。私は友人のセクシャリティが“悪い”なんて思えないし、誰にも思ってほしくないけれど、本人にとってはそうなんだって。(友人注:左利きの人が悪いとは思ってないです)

おもしろい例えをもらったついでに、キスとかセックスが嫌って感覚はどんな感じなの? と聞くと

「自分は峰くんほどの抵抗はないけど、キスはロマネスコを食べる感じ。ブロッコリーに似てるしおいしいかも、ちょっと食べてみたいって気もするけど気は進まない、食べずに生きていけるなら食べないかな、みたいな。それ以上はイナゴ食う感じですね」

だそうだ。人によってその感覚、抵抗の度合いはそれぞれだと思うけれど、確かに私も特別ロマネスコが食べたい! って欲求は湧かないしイナゴは食べたくない。熱狂的にイナゴを求めて罪すら犯す人がいるなんて、ぜんぜん理解できない。それが友人から見る“普通の世界”なんだって考えると、その窮屈さは計り知れない。


友人は、細かい部分を除いて峰くんに全面的に共感すると言っていた。
恋愛をあきらめることとか、相手が求めることをしてあげられないこととか、のちに村井さんが彼氏を作って幸せそうにしていることとか、そういう辛さに。
特にこの場面、

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好きな相手がセクシャリティごと自分を受け入れてくれたという“奇跡”が幻想であったこと、一度掴んだようにみえた幸せがたやすく潰されてしまったことが本当に救いがなくて辛いと。

こんなに大事な場面を、私は「『マジョリティ(私)』から見る『マジョリティ(村井さん)』」を追うのに必死で読み飛ばしてしまっていた。

友人を含むLGBT+の人たちにとって、自分のセクシャリティを受け入れられるのがどれだけ難しく、どれだけ嬉しいことか、そしてそれを否定されるのがどれだけ恐ろしいことか。
友人の気苦労が垣間見えると同時に、やっぱり私はわかっているようでいてわかりきれていないんだな、と思ってしまった。

ヘテロセクシャル(=異性愛者)でシスジェンダーの(=心と身体の性が一致している)私は、どう足掻いてもLGBT+の当事者たりえない。当事者ではないのにこうして考え続けること、そして考えてもわかりきれないことにやるせなさを感じているのも本心だ。

でもやっぱり私は、友人が自分のことを悪いだなんて思わない世界になってほしいな、と思う。

友人が言うように、確かに村井さんに悪気はないかもしれない。
だけど無理解が無自覚に人を傷つけてしまうなら、私は私が友人を傷つけないために彼ら彼女らを理解したいと思うし、私以外の誰かが友人を傷つけてしまうことがないように、私にできることがあるならしたい。
私の友人だけじゃない、誰かが誰かを好きだと思う気持ちが踏みにじられるようなことは絶対にあってはならないと思っている。

ので、これを書きました。

セクシャリティはさまざまだし、同じに見えたって細かい感覚は人によって違う。自分と異なる感覚を持つ人に対して、「変なの、おかしいよ」じゃなくて「まあそういう人もいるよねー」って思えればいいんだけど、「まあそういう人もいるよねー」って思うことには意外かもしれないが知識が必要だ。知らないもの、わからないものを人は拒んでしまいがちなので。
全部が全部共感することは無理だと思う。けど、調べたり聞いたりして相手をなんとなくでも理解することは必ずしも不可能ではないし、そうしていけば無自覚に人を傷つけてしまうことはかなり減るはずだ。

別に私は、万人がLGBT+について頭からがっぷり取り組む必要はないと思っている。でもだからこそ、偶然に触れる機会をできるだけ増やすことは大切だ。私の文章はいつもどおり小難しくてわかりにくいし、特に今回は専門用語が多いうえにかなり長いけど(4,000字をゆうに超えた)、私が書くことが誰かの理解の助けになっていればいいなと思う。

ついでに、今回の漫画を読んで何らかの感想を抱いた人、よければ共有してほしいな。特に初めてノンセクシャルというセクシャリティに触れた人が、この漫画をどう読み解いたか知りたい。お待ちしています。

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