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「割れた世界を作った大人」にできること

Twitterで偶然目にしたこの記事にとても心を揺さぶられた。まだ女子高生である彼女の可能性をどこまでも応援したい、素直にそう思った。

私の「普通」についても少しだけ。私はある地方都市で生まれた。私の両親は中卒で家計は貧しかった。勉強は好きだったが塾に通うことはできなかった。高校はかなり特殊な受験制度がある地域で、大人が勝手に決めたイデオロギーに振り回され志望校に行くことはできなかった。進学した大学も偏差値で言えば50ちょっとの公立大学で、奨学金はまだ返済中。今も生まれた地方都市に夫婦ともどもへばりついて暮らしている。

まあ、そんなに珍しいことでもないかもしれない、私の普通。

こういう人間からしたら羨ましいと思ってしまうのは、大都会に住んでいて、立派な両親がいて、金銭的にも恵まれていて、勉強も何不自由なくできる人。気持ちは鈴さんと同じ。

でも、そういう「羨ましがられる」立場の人たちは、それはそれで苦しんでいるということも少しだけ知っている。

ある「優秀な女子大生」の話

私が大学生のころ、あるきっかけから別の大学に通う女子大生と知り合った。私の大学よりもずっと賢い大学に通っていて、両親も立派で、なんちゃら学生団体?の役員もしている子だった。ちょうど就活が始まる時期で、その子は同じく優秀な友達に囲まれて、「〇〇総研のセミナーに行った」だの「某メガバンクの先輩と会った」だのそういう類の話をしていた。私は地元で何年か適当に働いて、当時彼氏だった今の旦那と結婚すればいいや、としか考えていなかったからまるで雲の上の話だった。

当時は就職氷河期最終時期ぐらいだったので、今の就活より遥かに厳しかった。大卒でも女の子は地元の中小企業で一般職の事務に就職できればいいほうで、就職が決まらなかった子で、経済的に余裕のある子たちはあえて卒業せずに就職浪人したり、大学院に行ったりしていた。奨学金の返済があったりしてどうしても就職しなければならない子たちは、渋々派遣とか非正規になっていた。

そんな厳しい就職状況でも、あの「優秀な女子大生」は誰でも知っているような大手メーカーに就職したとSNSで知った。

彼女にとっては、そこからが「地獄」だった。

リーマンショックだのなんだので世の中全体に余裕が無くなっていたあのころは若手だろうがなんだろうが、育成する暇もなく仕事でガンガン実践投入されていった。私も旦那もそうだった。彼女もどうやらそうだったらしく、激務で心を病んでしまったようだった。SNSには「死にたい」というような投稿ばかりが並んでいて、何度も職を転々としているようだった。

豊かであるように見える人たち

彼女だけではない。一見豊かであるように見える人たちでも受験や就活、就職後に挫折した人もたくさんいる。恋愛や結婚がうまくいかなかった人もいるだろう。私のような凡人からすれば、羨ましいとしか言いようのない人たちでも挫折して、凡人よりも遥かに高い位置から谷底に突き落とされた人も少なくはないだろう。

それでも、特に大きな挫折もなく、豊かさを享受している人もいる。それも事実だ。けれどもそれは数々の幸運の上に成り立っていて、足元は案外脆いものだとも思う。「カネ」というものは減り始めれば早い。リーマンショックのころに聞いた話だが、地元では有名な中高一貫のお嬢様学校に通う子の中には不況で親の収入が減り、学校を退学せざるを得なくなった子というのもいたようだ。不況とか、昨今の感染症とか、自分の力ではどうしようもないものによって、「豊かな生活」というのは案外簡単に崩れ去る。

格差はいけないことなのか

私は、「格差」そのものがいけないものではないと思っている。戦後、日本は確かに豊かになった。それはある意味で「護送船団方式」であり一番速度の遅い船のペースに合わせてみんなで底上げを図る、そういう時代だったのだろう。しかし、バブルが弾けて「みんなで豊かになる」ということを達成するのは難しい時代になった。

「早く走れる」ものだけでも先に行かせる。「走るのが遅いもの」は置いていかざるを得ない。そういう時代に入っていった。競争力のない会社は大企業だろうとなんだろうとバンバン潰れる、潰していく。

そうする以外に方法がなかったのも事実だろう。

「カネを稼ぐ」というのもある意味才能だ。「カネを稼ぐ」才能のある人間が組織を率いて食わせていく、それが「資本主義」の一面だ。

格差が広がった先にあるもの

格差はこれからも広がり続けるだろう。「カネがカネを呼ぶ」つまり「カネのある者」たちが「カネのない者」から搾り取ってゆく。「カネのない者」は乾いたぞうきんのようにどんどん干からびていく。

「カネのない者」からさんざん搾り取ったあと、次は「カネのある者」の中でも弱い者が搾り取られる側に回っていく。そうして極々僅かなものだけが勝者となり、多くの人間が搾り取られる側に回るのだ。

学歴もある、カネもある、能力もある。
だから自分は勝者だ、自分は強者だと思うものは、今一度、自分の足元をみてみるがいい。

それが数々の幸運によって成り立っていて、そしてとても脆いものであることに気がつくはずだ。

それに気が付けない人間は知らずしらずのうちに、すでに搾り取られる側に回っているのかもしれない。

割れた社会のままでいいのか

強いものがより強くなり、それは圧倒的多数の弱者から搾り取ることで成立する。

強いものが自分に都合の良いルールを作り、強いものたちだけで富を独占する。弱いものたちの気持ちが理解できない、理解する必要さえない。

それこそが「割れた社会」だ。

そんな社会は圧倒的多数の人間には不都合であるということについて、もっと考えなければならないはずなのだ。

我々大人が「エモい」で終わっていいのか

鈴さんのnoteは心を揺さぶるものがあった。若い方たちは何かを感じてくれればそれでいい。

でも私たち、いい歳こいたいっぱしの大人が「エモいね」で終わって言い訳ないだろう!

だからこそ、私は言いたい。

政治家や官僚どもよ!

お前らは自分たちのやっていることを恥ずかしいと思え!

社会を変えたい、良くしたいと思う若者は、一昔前であれば政治家やら官僚を目指していたはずだ。

しかし、社会を変えたい、良くしたいと思う若者にとって「政治家」や「官僚」というものが選択肢にすら入っていないのが実情ではないのか?

その理由は簡単だ。「政治家」や「官僚」がろくでもないことしかしてこなかったからだ。

特に政治家!

多くの国民、若者があなた方に失望しているのだよ。期待したところでムダだと知っているからだよ。

例の感染症で社会が大混乱に陥った春。耳を疑うようなことを聞いた。

「国民がなにに困っているのか、今ひとつわからない」

これこそが割れた社会を映し出しているといえる。

わからないなら聞きにいけよ

公園で寝泊まりしている若者、バーの店主やスナックのママ、店先で弁当を売るオーナーシェフ、ひとり親家庭の親子、最前線で戦う病院のスタッフ・・・。

そういう一番困っている人間に「大丈夫か?困っていることはないか?」となぜ聞きに行かない?そんなこともできない人間が政治家になれるのか?私には信じられない。

割れた社会を作った責任は国民にもある

こんな信じられないような愚かな政治家を量産しているのは、紛れもない我々国民だ。

弱いものの気持ちが理解できず、また知ろうともせず、関心すら持たない。そういう政治家は勝手に生えてきた「たけのこ」ではない。

選挙の結果、選ばれた政治家なのだ。

2017年の衆議院選挙の投票率は50%ちょっと。

半分の国民が政治家を選ぶ権利を放棄しているのだ。

関心がない?誰に入れたらいいかわからない?

自分なりに考えてとにかく投票しろ!

政治についてももっと関心を持たなければいけない。なめきった政治家が「国民が何に困っているかわからない」と言っている裏返しは「政治家が何をしているか国民が知らない」。

そして、政治家が弱い人間の気持ちを理解しないなら、国民は自分たち一人ひとりが困っていることをもっと発信しなければいけない。しつこいぐらいに。

「こうしてほしい」、「これこれに困っている」

そういうことはバンバン発信しなければそもそも伝わらないのだ。

右派左派、政党関係なく誰彼かまわず言いまくれ。

TwitterなりSNSなり、今は便利なものがたくさんある。政治家に対して@をつけて文句を言いまくればいい。

「分断の軸」はたくさんあるけれど

私達の世界はたくさんの軸によって分断されている。

都市と地方、富めるもの貧しいもの、男と女、マジョリティとマイノリティ、発達障害と定形発達、言葉、文化、国籍、肌の色・・・

それらの分断にどう折り合いをつけていくか、そのためにどんなルールを決めるか、それが政治ではないだろうか?

突き詰めれば、政治家と国民の分断こそすべての分断の根源につながっているのではないだろうか?

鈴さんの問いかけに、我々大人はただただ「エモい」気分で終わっていいものではない。自分のやれることをやりましょうよ。政治に関心持ちませんか?もっと文句言いませんか?投票行きましょうよ。

世界の片隅から、自分ができることをやってみる。

その一つひとつが大きな力になると信じて。

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