悲しいの日

今日はなぜだかとても悲しかった。
なぜだか信号待ちの車の中で涙がポトポト落ちてきて、コンタクトが曇って前が見えにくかった。

数年前、とぼやかしますが、そのときもそんな感じだった。

子どもの発達のことが苦しかった。

ユーチューブで発達障害の子ども動画を見る。
ネットで情報を検索する。
〇〇症親の会にもアクセスした。

やっぱり、おかしい。

正確に復唱する駅のアナウンス。
一方で、親子の会話は成立しない。

道で寝っ転がって、20分近く動かない。

きれいに整列したぬいぐるみ。

母子手帳の発達の目安に届かない。
はい と いいえ
いいえ、だけど、そっちに丸をするのは気が引ける。

「たぶん、この子は世の中の『普通』に苦労する。」
いつの間にかそう確信していた。

療育を受けさせたい。
そのためには、診断をもらわないといけない。
病院で検査したい。

そう、夫に相談した。

「できないのは教えてないお前のせい」
「自分の子を障害者扱いしてうれしいか?」
「育児に手を抜きたいから、療育に通わせたいんだろ?」

そういう言葉ばかりが返ってきた。

違うよ、そうじゃないよ
苦労するんだよ、
うまく折り合いをつけていくためのトレーニングだよ、
必要なら少しでも早くやってみようよ、
問題があるかないか、それだけでも調べようよ、

そう言いたかった。

なのに、わかってもらえなかった。

私は普通の精神状態ではなくなっていた。

それでも、いかに周囲に反対されても、子どもの発達検査と療育にはこぎつけようとしていた。

並行して、夫に心療内科に行け、でなければ離婚すると言われた。

そこで、いろいろと話を聞いてもらううちに、私も生きづらさをもった種類の人間かもしれないから、検査しませんか?と言われた。

数回の検査を受けて、1ヶ月後、自閉傾向はなし、だか衝動性優位型のADHDの診断を受けた。

子どもが発達と知的の問題が明らかになって、少ししてからのことだった。

☆  ☆  ☆

だから、結婚するとき夫も私も知らなかった。
ADHDだということを。

「こんな人だとわかっていたら、結婚なんてするんじゃなかった。」

「お前と別れたって、俺はいくらでも次がある。」

「子どもだけ置いて、いつでも出ていってくれ。」

「どうして『普通』ができない」

私のような思い、子どもにはしてほしくないんだ。
あの子のことをわかってもらえる人が一人でも増えてほしい。
変わってるなって、微笑んでくれる人に囲まれていてほしい。

『普通』を強要しない世界に生きてほしい。

そういう願いを込めて。

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