親を捨てた人生を生きていく

「親を捨てた」という言葉は、10年前の私にとってとても衝撃的な言葉でした。
口に出すのも少し躊躇するようなパワーワード。
今でこそ「毒親」や「親を捨てる」という言葉はよく耳にするようになりましたが、それこそ10年前は10代の流行やネットに敏感な私でさえイレギュラーな言葉に思えるほど「とても現実によくあるような事」ではないというものだったように思います。、、、今でもよく現実にある事ではないかもしれないけど。

現在の私、自己紹介を少し書いてみようかと思います。

私は今「親を捨てた人生」を生きています。

正確に言えば、父親とは年に1回は連絡をとっているし、母親は今も地球のどこかで子供を探しながら生きていて、捜しだされる直前で、警察やそういうような支援団体から連絡はくるし完全に私の人生からいなくなったというわけではないのだけれど。
それでも私は、大人になってから出会う人に親のことを聞かれると「他界していて」「遠くの土地に住んでいて多忙だから会いも連絡も音沙汰で」時々嘘をつくのが心苦しいような相手には「いるようでいないような、あまり交流がなくて」と表現したりします。幸い、歳をとるごとに「なんで?」という質問は少なくなり「へえ〜」で終わることが多くなったので他者とその先の会話はあまりありません。

そのおかげか、そのせいか、だんだんと私の人生の道から親はいなくなり、それと同時に、やっと自分の人生を生きているような、やっと新しい人生を生きているような感覚になり、幸か不幸か、前回書きました「あの子」のことを忘れつつあったという感じです。

時々とてつもなく寂しくなり、時々とてつもなく怖くなる。
寂しくなるのは大抵結婚式に参列した時、身の回りの子に子供が生まれた時、誰かが親に愛されているということを目の当たりにした時。
そんな感じ。私には「生きているだけで存在しているだけで喜び祝福してくれる人はいないんだなぁ」「私個人の何かを私以上に喜び愛し共に感情を共有してくれる人はいないんだなぁ」と、言葉にするとまた何か違うような気がするんだけれど、そんなようなことを思ってふと寂しくなる。

あの子はひとりぼっちだった。今も、昔も。

そう感じる時にとてつもなく寂しくなる。

怖くなるときは、母親が私を探していると連絡がきたとき。探しているというか、また私の人生を一緒に歩きたいと思っているということを身を持って感じたとき。または、今住民票の閲覧規制をかけているんだけれど、その更新に行った時。そうか私は逃げているんだ。身を隠しているんだと再認識したとき。
ちょうど先日、閲覧規制の更新に警察署と市役所に行ってきた。警察署に行った日の晩、自宅の玄関が怖くて怖くて眠れなくなった。やっと眠れたと思ったら、夢を見た。
母親が、笑いながら泣きながら自宅の玄関に立っている夢。そのまま部屋に入られて目が覚めた。もう一度寝ると、また部屋の中にいて、包丁を持っているかもしれない、何を言われるんだろう、シンプルに「怒られるかもしれない」という子供のような感情も生まれていた。結局あまり寝れずに朝を迎えたけれど、朝を迎えた頃には恐怖心は無くなっていた。昔より恐怖心は薄れているのかもしれない。でも、母の存在、あの家で生きていた頃の記憶は今でも私にとって脅威なものであることには変わりがない。それを認めざる得ない朝を迎えた。

親を捨てた日、私の人生の中で一番の分岐点だった。
当時は色々な感情があって「晴れやか」という感情でなかったけれど、やっと覚悟を決めて自分の人生を自分のものにしたんだと思った。

やっと終わった。
そう思った。でも、違った。

死ぬまで親子という事実は消えない。死ぬまであの日々は消えない。
死んだって消えない。
あの家で生きてあの親に育てられ経験し植えられた価値観、あの全てがいまの私を作っている。
終わったのではなく、ここからがまたスタートなのか。とある日気づいた。

絶望に近い疲労感と共にその気付きは私の中へ浸透し
それでもやっぱり私は自分の人生を生きることを諦められず
今日も毎日過ごしています。

もし、今毒親から逃げれないともがいている人がこれを読んだらどうしよう
じゃぁ逃げたって一緒じゃないかと思わせてしまうかもしれない
でも簡単に「逃げたら終わり、楽しいよ」とは言えない

ありのままを伝える
諦めるのも自由、諦めないのも自由
でももし今時間があるとしたら少しだけ私に時間をくれないだろうか
「逃げたのに始まった私の人生」を聞いてほしい
聞いてから考えて見てほしい、今より先の人生が欲しいか欲しくないか


そしてこれもまた本心

私は親を捨てて良かった

生き辛さはあるし、日本に生きている限り完全に親子関係を消すことはできない。そしてあの家で生きて、あの親に育てられた過去の経験を消すことも変えることもできない。その日々の中でつくりあげられてきた自分ということを認めないわけにはいかない。それ故、生き辛さはとてもある。

けど、今私は本当に、自由に息をしてる。

自分の意思で生きて、自分の意思で動いてる。
自分の人生を生きてる。誰にも無理やり変えられることもない、私だけの人生を。
それがどれだけ、嬉しくて楽しいか。
親を捨てて、確かに私は「新しい人生」を手に入れている。



今回は、このへんで


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