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何も考えていなかった自分

1945年8月6日 午前8時15分。
広島に原爆が投下された。

そうだ。そうだった。
なのに私は今までこのことを全く意識しないで生きてきた。
思い出すきっかけは何度もあったのに。

私は転職が決まり、14年勤めた会社を退職、10月から新しい会社で働く。
そして9月はまるまる有給消化!
大人の夏休み、中国地方と九州を巡る旅をしている。

住んでいた岡山県倉敷市を出発し、広島に入った。

広島県といえば原爆ドーム。初めて来た。

外国人観光客も多くて、平和だな、と思いながら資料館に入った。

入るとすぐこう書いてある。

1945年8月6日 午前8時15分。

そうだった。1940年代だったんだ。

私がつい最近まで働いていたアメリカ企業の創業と同じ年代。創業年は仕事する中でしょっちゅう出てくるし、私も何度も口にしている。

会社の創業と原爆投下が、5年も違わず起こっている。

なのに私は戦争のことも原爆のことも、思い出すことが一度もなかった。

思い出したとて、どうなるわけでもないかもしれない。
だけど、忘れていいことでは決してない。

資料館には、絵や写真、亡くなった方の言葉、さまざまな展示があった。

被爆した方の痛ましい姿や悲痛な声を目の当たりにして、何も考えていなかった自分を恥じた。

展示の中の人たちは私と同じだった。

学校に行ったり、仕事をしたり、家族や友人を思いやったりしていた。

資料館を出た。原爆ドームがある。
訪れている人たちを見た。

平和だった。
だけど、来る時に感じた感覚とは違った。


展示にあった、ある手紙が忘れられない。
母親が疎開した我が子に宛てたもの。

そちらの暮らしはどうですか?
そちらには山や川など、こちらにないものがあるでしょう。
元気に楽しく遊びなさいね。
それが、お母さんが一番願うことです。


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