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幸福(さいはひ)のいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声をきく 詠み人知らず

ああ、なんと幸せな人だろう。
黒い髪が白くなるまで、
妻の声をきくとは。

万葉集

万葉集には相聞歌、挽歌、雑歌という三つの部立てがあり、この歌は挽歌に属している。

恋の歌、
死の歌、
その他の歌。

このような部立てがあること自体が、古来から人がどのような時に心を動かし、歌を詠もう、あるいは読もうとしてきたのかを物語っていて大変興味深いが、それは、ひとまずおいておこう。

黒髪が白くなるまで、妻の声をきく人は幸せだ。

この歌が、人の死を悼む挽歌であるということは、自分は、白髪になるまで妻の声をきくことができなかった、ということであり、聞きたかった、という思いがここに滲み出ている。幸福とはいつの時代も、失われた憧憬としてしか歌われないものなのだろうか。否、たとえそうだとしても、この歌の、無常を嘆くような響きとは無縁な、むしろ充足感すら感じさせるような爽やかな味わいは、いったいどこから来るのだろう。

黒髪の白くなるまで。

このフレーズは、時の経過を鮮やかな視覚的イメージとともに描き出す。劇的な、変化の描写だ。そしてそのあとにくるのが、

妹が声をきく。

その変化の中で、失われずに残った妻の声だ。

もちろん、妻の声もまた、長い時の経過とともに変化しているだろう。だからそれを嘆くこともできるのだ。しかし、詠み人はそれを幸福だと歌う。それが失われたときの悲しみを知っているからこそ、失われずに、残ることを尊ぶのである。
変化は心持ちしだいで、悲しむことも、楽しむこともできる。それは悲しむことしかできない、失うことよりも、はるかに幸福ではないだろうか、と。


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