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何者にもなれなかったから、わたしはわたしになれた

「わたし、何者にもなれなかった」

そう嘆いてしまうことは、年齢を重ねるごとにたくさん考えてしまうことなのかもしれない。わたしたちは、どうしても肩書きを気にしてしまう生き物だ。周りと比べ、ないものを探して、そして嘆く。何者にもなれなかった理由を。気にしないようにしていても、周りを見渡しては違う理由を探してしまっている。

肩書きがないわたしは何者でもないことに気がついてしまった。わたしが生きているだけで価値があるだなんて到底思えないし、思いたくもなかった。今、自分のことを価値がある人間だなんて思いたくもない。思ってほしくもない。どうしても、どうしても、自分で自分のことを認めたくはなかったんだ。認めようとしても、認めることができなかった。

「わたし、何者なの?」
「何のために生きているの?」

特別になりたかった、特別な何かに


「いつか何者かになれるはず」そんな曖昧な言葉を信じ過ぎてしまっていた。当たり前に思えていたことが、当たり前に思えなくなった。「今はまだその場所にはいけない」そう感じてかなしみで包まれてしまう。褒められても素直に受け取ることができなくなった。

なにも持っていないからと言って、特別になれない自分を妥協しながら生きていくのは絶対にしたくない。こうやって答えが出ている時点で、すべきことは決まっているのと同然だろうけれど。「妥協はしたくない」と自分の中で決まっているのであれば、嘆くよりも走り続けるしか方法はない。

「何者かになりたい」と思ってしまうことは、どうしても他者視点になってしまいがち。周りと比べて自分にはないことがすごくいけないことに思ってしまうのも、なにもないことで引け目に感じてしまうこともある。でもそんな理由を考えてしまうのなら、自分が今なにをしたいのかを考えることが大切。

わたしたち、みんな同じようになにかになりたいもの。何者かになりたくて足掻いてる。わたしたちの人生は、わたしたちのもの。誰かのため、誰かに認めてもらうために何者かにならないといけないなんてことはない。変わりたいと思えたことが素晴らしいこと。年齢だなんてただの数字。遅いということなんてない。だから諦めなくていい。焦って何者かになる必要なんてまったくない。

何者でもないからこそ、何者にでもなれる。何者にもなれなかったから、今わたしになれた。そう思うと、すべてが嫌なことばかりではないかもしれない。だからわたしはすきなことを見つけて走り続ける。



わたしたちは明日も新しいことに出会うために、わたしたちを生きる。

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