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モノを作って売るとは何ぞや…2. 自分のモノづくりの中枢①

前回⬇

にて、「次は自分のモノづくり歴を振り返り、中枢に何があるのかをあぶり出すと良さそう」と書きました。
というわけで、今回は自分のモノづくり歴を、その時感じていたことをひっぱり出しながら振り返ります。

1.小学生の時

恐らく原体験ではないでしょうか。
この頃は「モノは最初からあるだけじゃなくて、自分で作ることもできるんだ」という感覚が育っていった気がします。

【雑誌の付録工作】モノの創造に潜む人智を感じ取る

当時、「小学◯年生」や「りぼん」など月刊雑誌を買ってもらっていました。
これら雑誌には、本誌の他に、組み立て工作が必要な付録がついていたんですよね。
カラクリおもちゃとか、ジュエルボックスといったような。

私が毎号とにかく楽しみだったのは、その付録を組み立てることでした。
それは誌面への楽しみを上回り、雑誌を手にしたらまず最初に付録作りに取り掛かるほど。

立体カラクリのような、工作が複雑で時間がかかるものほどワクワクしていました。
「ここが坂道だから、コマが勝手に進むんだ!ココにベロをはめ込むだけで、糊無しで作れるんだ!付録を考える人すごいなぁ。どうやったらこんなこと考えられるのかなぁ。」と思っていました。

似たような感じで
「鉛筆を考えた人、すごいなぁ!どうしてこんな形にしたんだろう。鉛筆ってどうやって作るんだろう。」
みたいなことも思っていました。

漠然と、モノの発明や設計に宇宙の不思議を見るような感じ、といいましょうか。
自分の身の回りにあるモノは誰かが作ったもので、壮大な人智が潜んでいる、という気配をおぼろげに感じていたように思います。

【お人形の服作り】モノをつくる自分への信頼感の芽生え

学年が進むにつれて、布小物、編み物、ビーズ小物などの手芸に親しむようになりました。

母が手芸本を持っていたんですね。
その本は、1冊の中にファンシー小物から生活雑貨まで、刺繍、パッチワーク、編み物など内容がてんこ盛りだった記憶があります。
それをしげしげと眺めて「作り方が難しくてわからないけど、作りたいなぁ。」と思っていました。

そこから、家庭科で裁縫を習い、部活動で手芸クラブに入り、母に編み物を教わり。
裁縫関係がお仕事(たぶん)の友達のお母さんの仕事部屋のミシンで遊ばせてもらったりもして。(今考えると冷や汗だけど特にロックミシンを触らせてもらったのは超貴重な体験!)
やり方を身につけていきました。


一方で、リカちゃんやシルバニアファミリーなどのお人形遊びもよくやりました。

家では妹と遊ぶのですが、セリフをしゃべりながらのごっこ遊びをした記憶は無く。
もっぱらお互いに黙々と(アイテムの取り合いでケンカも頻繁ですが)、内に秘めたテーマのもと、お人形たちの服の着せ替えと部屋作りをしていました。

先に書いたように私は手芸に親しんでいたので、着せ替え服やアクセサリーはだんだん自作するように。
手芸はほぼ、お人形アイテム作りに集約されていったように思います。

今考えると、そこでは「試行錯誤しながら作って、使う」というサイクルを自分で回せていました。
それが「こういうのが欲しいから自分で作っちゃお」と思えるような、自分への信頼感につながっていったかもしれません。

2.中学・高校生の時

【演劇の衣装作り】自分へのモノづくり信頼感が育ちまくる

中学・高校では演劇部に入っていて、衣装係をやったりしました。
調達できない衣装は自分達で作るのですが、これが楽しかったんです。
お人形の服作りの発展形ですね。

作る衣装の中には「お姫様のドレス」「メイド服」などもあって、それ自体のキラキラ感も楽しみつつ。
洋裁の本を探してきて解読・応用して、何とかそれっぽく作り上げる、という過程を堪能していました。

こうして作った衣装が舞台で使われるわけです。
「無いものは作っちゃえ」➡「やっぱり作れた」➡「舞台が成り立った」というサイクルを他人も含む形で回せたことで、小学生時に芽生えたモノづくりでの自己信頼感がすくすく育っていったように思います。

人間サイズの服も作れることがわかった私は、自分の服を作ったこともあります(私服の私立校でした)。
調子に乗って友達の誕生日にスカートを作ってプレゼントしたことも…あったなぁ(これも、今考えると冷や汗)。

【化学への積極的な興味】スケールの大きなモノ創造の世界を覗く

高校生の私は化学の「AとBを混ぜるとCが出来る。Cはこんなことに使われている」みたいな内容に興味津々でした。
学校で習った事と参考書を突き合わせながら、自主的にまとめノートを作っていたほどです。

ちなみにそのノートは残していて、40歳代半ばの今見ると目が泳ぐ… (´・ω・`)
ノートにまとめて満足したものの、結局は身についていないということかしら。

授業での実験で「銀鏡」を作り、それを家に持ち帰って大事にしていた記憶もあります。
「銀鏡」というワードだけを覚えていて、どういう実験なのかはさっぱり覚えていないのですが、今調べてみたらwikipediaにはこう書かれています。

「工業的にも銀めっきの手法として利用されている。この銀鏡反応による鏡作りは、化学反応によって直ちに実用品を作ることができる数少ない貴重な例といえる。」

ああ〜、なるほど!実用品!
化学には「必要なモノを作り、役に立つ」というストーリーが見えるし、多くの人にモノが普及する規模感がありますし、化学反応の発明には長い年月にわたる人智の積み重ねがあります。

今まで自分が家でやっていた手芸でのモノづくりからスケールが跳ね上がった、化学的なモノ創造の世界。
その扉の前に高校生の私は立っていて、扉の向こうにぶわーっと広がる世界を、少し開いた扉のすき間から覗き見ている。

きっと、そんな感覚だったと思います。

※ もちろん手芸の世界にも、材料、道具、手法など人智の積み重ねがあることは言うまでもありません。

【物理・数学には義務感】万物の法則の解き明かしには興味が薄い

化学へのやたら熱烈な興味の理由がわかったら、物理や数学にはさほど興味が無かった理由もわかりました。

当時の私は、モノの創造には興味があるけれど、万物の法則の解き明かしには興味が薄かった、ということだと思います。

いや、モノを設計するためには万物の法則を踏まえる必要がありますし、法則の発見こそ偉大すぎる人智なんですけどね。
私の関心はあくまでもモノづくりに直結することであって、化学にはそれを感じられたけれど、物理・数学には感じられなかったのでしょう。
これは別に、先生が悪いわけでも教科が悪いわけでもありません。


そこでもうひとつ、エピソードを思い出しました。

物理の力学で「モンキーハンティング」という例題がありました。
「銃声にびっくりして木から落ちるサルを撃つには、どう銃口を向けておいたらいいか」みたいな、私としてはサルの扱いに衝撃を受けたお題なのですが、そこには特別なものを感じました。

それはサルを「手に入れたい!」という人の思いに対する実用性。

サルを撃つことに「えぇっ?!何のために?」と思わされるにもかかわらず、しれっと例題になっているということは、どこかの地域ではサルを手に入れたい人達がいて、サル撃ちが文化として受け入れられているからかも。
という勝手な深読みから感じる実用性です。
(実際は昔の人の能天気な発想で作られた例題だろうと思いますけどね。)

そんなことがフックになって、私は物理につなぎとめられていたかもしれません。

3.大学生(工学部)の時

化学には興味があり、物理・数学への興味は薄かった私ですが、大学は工学部へ進学しました。

なぜそうしたかといいますと、
モノづくりへの興味を自覚する中で

手芸の世界は趣味で追っていけそう。
化学の世界は、高校の授業で何となく覗けた。
一方で機械の世界は、どうやって作って、どうやって思い通りに動くようにするのか、さっぱり見当がつかない。
工学部へ行けば謎が明かされるかな?

と思ったからです。

【電気機械系を選択】数式とモノの因果関係がわからずお手上げ

機械のコントロールというところに着目して、学科は電気機械系を選びました。

しかし内容は難解で、さっぱり身につきませんでした(汗)。

中心となる制御理論も、周辺の物理系、数学系も、教科書は数式オンパレードの白黒の世界。
見るだけで「うっ…」となります。
機械を計算ずくで意図どおりに動かすわけですから、数式オンパレードなのは当たり前なんですけどね。

数式と機械の動きとの因果関係を全く理解できず。
(今思えば、虚数を本質的に理解していなかったのが一因かも。)
何故か卒業単位は揃えられたものの、学科内容的には頭スカスカで卒業しました。

こうして振り返ってみると、私には「自分で作って、使う」手応えを体感することが大事なような気がしてきました。
お手上げの大学授業の中でも、プログラム言語の実習には楽しさを感じていて、それは「作って動かす」ことの手応えを得られていたからだと思います。

私にはまず、ラジコンなど電気機械の工作キットで遊び倒すことが必要だったのでしょう。
でも、振り返れば在学中に一回、会社員の時にも一回、勉強がてらにキットを買って作った以外は、工作キットに手を出していません。
つまり私は、電気機械系のモノづくりには結局興味がないのかもしれません。

【電気系メーカーに就職志望】スケールの大きなモノづくりに関わりたい

しかしながら。
自分だけで完結しないスケールの大きなモノづくりに関わりたい気持ちはあって、就職活動では電気系メーカーを考えました。

候補1:家電メーカー

家電は多くの人が身近で使うモノです。
自分もとてもお世話になっています。
そういった広く親しまれるモノに貢献できる人になりたいと思いました。

候補2:電子楽器メーカー

私は子供の頃11年ほど、音楽教室でピアノとエレクトーンを用いて、演奏の他に音楽理論や作曲まで含めて習っていまして。
電子楽器の音色や機能の中に音楽の何をどう考えてどう落とし込むのか、知りたいしやってみたい気持ちがありました。

結果的には家電メーカーへの就職が決まりました。
(当時は大学の推薦枠により、深い自己分析や過酷な面接を重ねることもなく、スムーズに就職できてしまったのでした。)

● ここまでで見えてきたこと

この記事は自己分析が目的です。
ここまで、日数をかけて何度も読み直し、「ホントにそうか?」と自問自答しながら書き直し、精度を高めようと努めました。

そして見えてきたこと。

★ 私は使うことがわかっているモノでないと作る気がしないのかも

電気機械の工作キットで遊ばない私は、電気機械のモノづくりには興味がないのかも

「大学生の時」

いや、電気機械に興味がないというよりは。
手作りの電気機械工作は、作った後にそれを使うアテが自分に無いから作らない、ということなのでは。

子供の頃から手芸や裁縫で作ってきたモノは、全てとは言わないまでも大半が「使いたいモノ・使うことがわかっているモノ」でした。

「試行錯誤しながら作って、使う」というサイクルを自分で回せていた

「小学生の時」

「無いものは作っちゃえ」➡「やっぱり作れた」➡「舞台が成り立った」というサイクルを他人も含む形で回せた

「高校生の時」

当時は今とは違って、簡単に情報検索してネットショッピングできる時代ではありません。
とはいえ、日本では十分にモノが普及している時代です。
(私は1976年生まれです。)

手芸や裁縫で作られるモノの分野は、人それぞれの好みや表現など多様さが現れる分野で、広く普及している製品だけでは要望を満たせない場合も往々にしてありそうです。
だから私は「欲しいけれど周りに無さそうだし、作れそうだから作った」。

一方で電気機械の分野では、私の生活は普及している製品で十分にまわっていて「ここにこんなモノがあったら…」と思うようなニッチな要望や想像は沸かなかった。
だから私は作る必要を感じなかった。
(父はブラウン管テレビを趣味で修理していた人なので、私が何か作る気になれば何かしら指南してもらえたはず。)

ざっくりと、そういうことのような気がしてきました。

★ 「スケールの大きなモノづくり」の意味するところは「人の普遍的な要望を満たす、もしくは、効能が広く共感されるモノづくり」なのかも

そう思って読み返すと、手芸・裁縫(=家でできる小さなモノづくり)以外のトピックスの中で腑に落ちるポイントがあります。

・雑誌付録を糊無しで作れる(多くの人にとって便利)
・鉛筆はどうしてこんな形なんだ(多くの人にとって使いやすい)

「小学生の時」

・化学には多くの人にモノが普及する規模感がある
・物理の例題に文化(ある領域での普遍性)をこじつけ実用性を感じたことが学習モチベーションになる

「中学・高校生の時」

・機械を思い通りに動かす
・家電=広く親しまれるモノ に貢献したい
・電子楽器に音楽(共感要素大)の何をどう落とし込むのか知りたい、やってみたい

「大学生の時」

うんうん、そういうことかも。
まだまだ粗いのですが、学生時代の自分はそんなことを思い描いていたということです。


さて、ここまでが①です。
就職以降、今に至るまでのモノづくりも振り返っていきたいのですが、それは②にします。

続きは⬇

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