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モノを作って売るとは何ぞや…3. 自分のモノづくりの中枢②

私は子供の頃から何かしらモノづくりをやったり関わったりしてきました。

現在はお人形(リカちゃんくらいのサイズ感)向けの着物のハンドメイド作家として日々模索しています。

ドール着物の制作販売 ちっちゃいキモノ屋

ハンドメイド作家というか、自分的には「1人製造業」と言った方がしっくりくるのですが、
それだとあんまり通じないか…と思っています。


言い方?肩書き?はともあれ、自分のモノづくりを商売として納得して続けていきたい。
そのためにさしあたって、自分のモノづくりの中枢に何があるのかをあぶり出してみよう。

ということで只今、我がモノづくり歴を振り返っているところです。


1.〜3. 前回(小学生〜大学生)

前回の

では、小学生から大学生(工学部・電気機械系の学科)時代の自分を振り返りました。

振り返って見えてきたこと。
それは私は

★ 自分が使う・もしくは誰かが使うことがわかっているモノじゃないと作る気がしないらしい
★ 人の普遍的な要望を満たす、もしくは、効能が広く共感されるモノを作りたいらしい

前回投稿「モノを作って売るとはなんぞや…2. 自分のモノづくりの中枢①」

ということでした。


これだけを見ると何のヘンテツもないことを言っている気がしてしまうのですが、、、、

いやいやいや。
掘り起こしは浅いものの、中枢とつながる脈を当てている感じはあります。

例えば現在の「ちっちゃいキモノ屋」の話でいえば…

  • そもそもお人形遊びする人は老若男女・全世界にいらっしゃる

  • 受注生産スタイル(品物の制作は注文を受けてから行う)

  • 着物姿のコーディネートに使いまわしがきくモジュール的な概念(モジュール=着物・帯・飾りなどの各アイテム。これを単品でもコーディネートセットでも販売して、お客さん自身にコーデの幅を広げてもらって楽しめるようにする。)

そして前々回の投稿に書いた、壮大すぎるけれど究極的な思い。

  • 地球資源の無駄使いをしたくない

  • 地球平和に貢献したい

このあたりに、子供の頃には無意識だった「使うことがわかっているモノを作る」「普遍的な要望」「効能への共感」といったことが通じているように思えてきました。

「三つ子の魂百までってこういうこと!?」と、気づいてみて自分でビックリです。

後付け的というか、こじつけっぽく当てはめている感もあるかもですが、
自分に嘘をついていない部分がちゃんとある、という発見ができたことが大事です。


というわけで、さて。
今回は就職してから先を振り返ります。

4.会社員(家電メーカー)の時

大学は工学部・電気機械系の学科を卒業後、家電メーカーに就職しました。(12年半後に退職しました。)

会社員時代はとにかくいっぱいいっぱいで。
当時を振り返って何をどこまでどう書いたらいいか、どう深掘りしたら自分の中枢につながるのか、悩みまくって数ヶ月この投稿を寝かせました。

「ちっちゃいキモノ屋」での色んな方々とのご縁や、有料・無料のコンサルティングやワークからのヒントを総動員して、
「あ、こういうことかも」というのが今、やっとこさ見えてきたところです。

会社に迷惑がかからないように考慮しつつ、必要と思えるギリギリのところまで具体的に、書き出してまいります。


振り返りの観点としては大きく2つ

  • 仕事の回し方

  • 関わる製品や事業に対するモチベーション

に分けると良さそうです。


【仕事の回し方】素養が無い…(泣)

まずは製品や事業を具体的に書く前に、私自身の仕事の回し方の観点での反省をまとめてしまいます。


会社に在籍したのは12年半で、2つの部署を経験しました。
いずれもメカトロニクス(機械+電気)関連の技術系部署で。

1つ目の部署は、現製品の次世代技術の開発
2つ目の部署は、会社の新規事業の開拓・開発

どちらも、今まで世の中に無い物事を実現しようとするのがお役目の部署です。


今まで世の中に無いわけですから、試行錯誤はつきもので。
開発できる確証も、予めわかっている道筋も、無いと思うんですね。

私が経験した限りでは、期首に開発目標や仕事の割り振りを何とか描いてみるものの、そのとおりに物事が進むなんてことは無かったです…。

世の中のトレンドで裏付けしつつ、会社にとって必要な市場規模や販売タイミングを先に描いて。
それに合わせて開発目標をいったん掲げた後、複数の関連部署が皆で右往左往して、目標改変しながらジリジリやっていく。
という感じだったように思います。


そんな中で私は、身の置きどころといいますか、自分の足がかりを見い出すことができないまま、仕事上の疎外感や役立たず感を抱えていました。
正直なところ、常に溺れているような感じで苦しかったです。

部署のメンバーとしては溶け込めていたと思うんですけどね。
チャキチャキして人当たりが良い性格なので。
飲み会などは楽しかったですし。


先を見通しにくく、だれもが右往左往して忙しい状況。
下っ端は言われたことをこなすだけ、とはいかず、そもそも「言われたこと」が正解なのかどうかもあやうくて。
(上層の方々、失礼をお詫びいたします)

そこに自らスッと乗っかり、緩急つけながら泳いでいけるために必要な素養は何なのか。

今にして思うと、以下のようなことだったと思うのです。

  1. 自分に課された物事をどうしたらいいかさっぱりわからない時、上司や先輩にこまめに話しかけてすり合わせしていける、軽やかな質問力。

  2. 自分に課された物事の位置付けを見抜き、手抜きもできる要領の良さ。(私は「1.質問」ができないので見抜けもしなければ、手の抜き方なんて一度全力でやってみないとわからないと思っている人です。)

  3. 会社組織のからくりを俯瞰する力、もしくは組織への好奇心。(誰のどういう考え方で物事が決まって、そのために誰がどう動いているかを解き明かし、自分につなげられるかどうか。)

  4. 複雑な技術を理解できる頭脳、もしくは足りない頭脳を勉強へとかき立てる好奇心。(「物事がさっぱりわからない」うちの少なくとも技術面だけでもクリアする手立て。)

  5. 職人的なスキル(外部委託する場合も多いけれど、特に新人がこれを備えていると新人の仕事として成り立つ。)

全部の素養が必要なわけではないのですが、1つも無かったんですよね…私。


一方で、規模は思いっきり小さくなりますが、今の1人製造業「ちっちゃいキモノ屋」だって、それはもう試行錯誤の日々です。

試行錯誤の理由の半分は、1人で会社の全部門の仕事(研究開発からの製品化、量産、広報、営業、経理、経営企画…)をやらなきゃいけないからだ、と言えそうです。

残りの半分は、個人商売として自分ならではの市場を作るため、と言えそうです。
ドール着物は世の中にあれど、「自分ならではの市場」というのが「今まで世の中に無い」に当てはまるでしょうか。


と、ここまで考えて。

上記素養1〜5は現在の自分で言うところの何か、あてはめるイメージがわいてきました。
これちょっと面白いので、また今度書き出してみようと思います。


さて、次に。

仕事を回すための素養と並んで大事なのは、製品や事業に対するモチベーションだと思うのですが、これを具体的に書きます。


【製品・事業(1部署目)へのモチベーション】…無かったなぁ

まず「1つ目の部署:現製品の次世代技術の開発」でのお話。

当時で言うところの現製品。
それは、CDやDVDの関連製品(映像・音楽を録画再生するレコーダーやプレーヤー、パソコンデータを記録するドライブ、など)です。

次世代技術とは。
CDやDVDよりも高精細でたくさんのデータを保持できる、後に Blu-ray (ブルーレイ)ディスクと呼ばれるようになったものに関する技術です。

当時はまだ、DVDの次世代メディアの基本技術を複数の企業がそれぞれ開発して、自分のところの技術を次世代の業界スタンダードにしようともがいている状況でした。

私が所属した部署では、次世代の技術に磨きをかけて、お客さんが次世代の製品を様々な状況で安定して使えるようにするための開発を行っていました。


で、じゃあその次世代製品に対する私のモチベーションはどうだったかと言いますと…

大変大変申し訳ないながら、私には製品への興味がありませんでした。

そもそもCD、DVDに関して、映画やドラマを観るとか、音楽を聴くとか、写真や動画を撮影することが私はあんまりなくて、概ねCD、たまにDVDで事足りる生活をしていました。
その先の Blu-ray なんて、自分が使うシチュエーションを想像できません。
そして実際、その後の人生において今まで、Blu-ray のお世話になったのはちょっとだけなんです…。

というくらい、自分の生活には縁がないものでした。


ちなみに部署に配属が決まる前(というのは確かだいぶ遡って採用面接の時)、興味があるのは自分の生活でお世話になっている家事ジャンルの製品です、と言ったような気もします。

しかし、色んな事情がひしめき合う大きな会社で、配属の希望はそうそう簡単にかなうものでもないでしょう。
興味のないジャンルへの配属が発表された時は一瞬とまどったものの、私はすんなり受け入れました。


当時、次世代製品の目標スペックとして「ハイビジョンの映画を2時間録画できること」というのがあったと記憶しています。

それにも興味が無い私は、そのスペックが世の中の娯楽トレンドに乗せるために必要というのは理解できるものの、ワクワクしながらは仕事に取り組めなかったんですね。

それがあったら娯楽がより深まるかもしれないけれど、今でも人々は充分楽しめているんじゃないの?その欲深さは必要?
なんて思っちゃう。


「人々」とひとくくりにするのは雑で、これは当時の漠然とした気持ちなのですが、今にしてみるとさらに踏み込んだ言い換えができそうです。
それは、

それは単に娯楽を供給する以上に、お客さん自身のクリエイティビティが活きてより高度な充実を味わえることに、貢献できるの?

ということだと思います。


映画を例に取ると、当時ハイビジョンの映画は概ね企業から一般のお客さんに供給されるものでした。

お客さんにしてみると、映画を受け取ることはあっても、映画を作るとか、映画を加工するとか、自分のクリエイティビティをそこに交わらせることはないわけで。
(映画に刺激を受けて生活を変える、みたいな精神的なことはもちろんありますけれど。)

それがさらに、ハイビジョンという他者に作られた形での没入感が増すと、自分の感覚で余白を補う要素が減ると言いましょうか。


あっ、
与えられた娯楽に没入することを否定したいわけじゃないんですよ!

私だって例えば、上げ膳据え膳、旅館の部屋出しの美味しい夕飯に満たされたい気持ち、ありまくります!
まるっと完璧に用意されたものに浸って頭の中をスポーンと塗り替えたいとか、ありますよ。

それはそれでいいんです。
それを否定したいのではなくて。


重要なのは、私自身がまるっと完璧に何かを用意して、それをお客さんに提供したいのか、ということなんです。

答えは「否」で。

私はどうやら

お客さん自身の中にあるものを活かして
手触りのある実体の形にして
お客さんの気持ちが成就する
という喜び

を、お客さんと一緒に味わいたいらしい
ということが最近わかってきました。

何でそうしたいかというと。

それは私自身が、子供の頃からモノづくりで自己信頼感を育ててきたことや、会社生活の傍ら趣味で陶芸教室に通って自分を癒やしていたことなど、
モノづくりを通して「自分の中のクリエイティビティを成就させる喜び」に支えられてきたからではないかと思います。


話を戻しますと。

そういうことが私の中に潜在していたので、次世代製品が単純に自分の生活に結びつかないことに加えて、お客さんに提供する価値の方向性にもモヤモヤしていて、モチベーションが低かったのかもしれません。

まあしかし理由はともあれ技術は何かと日進月歩で、自分だって何だかんだそれを当たり前のように享受していくわけです。

なので、モチベーションが低くても粛々と仕事をすれば「やってて良かった!」と実感する日が来たのかもしれませんが…
前節で書いたように、仕事を回すための素養も無かったので、どうにもならず。


持ち前の忍耐力と、女性である自分以外はほぼ男性だらけの職場でも溶け込めるコミュニケーション力(いや本当に溶け込めてたのかな)、良き同僚友人達との励まし合い。

それで6年間ほど持ちこたえているところに、興味深い社内の人材募集が出て応募したら通ったので、この部署からは離れることになりました。

しんどい6年間ではありましたが、世の中に普及していく製品の開発プロセスや、製品の信頼性というものについて学べたのは、私にとって大事な経験でした。


ちなみに異動の6年後、私が会社を退職する頃には、一般でもハイビジョンのビデオカメラで撮影した動画を編集して Blu-ray ディスクに焼く、というのが広まっていた感じでした。
私自身、そのタイミングで一時だけそれをやって、Blu-ray のお世話になりました。


さて、では次に異動した先の2つ目の部署でのことを振り返ろうと思っているのですが、長くなったので次回にしようと思います。

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