自分のことなのに他人事のように感じてしまう。フェルトセンスの欠落と幼少期の恥の植え付けについて

おはようございます。性依存当事者のShiroです。

昨日皮膚科の通院中に「HEALING THE SHAME THAT BINDS YOU / JOHN BRADSHAW」を読んでいて、ものすごくあああ!!!と腑におちた、有毒な「有毒な恥」がフェルトセンス(自分の感覚)に大きく関わってくるという説明があったので、それについて少しまとめたいと思います。

1.フェルトセンスって何?

直訳すると「感じた感覚」、心理学用語の解説では、漠然と身体で感じる言葉になる前の意味のある感覚のことを指します。

例えば何だか嫌な予感がするな・・・って時に胸の辺りがざわざわする。これもフェルトセンスですし、精神的にしんどいなーってときになんだかのどにつっかえるような感じがするな・・・ってのもフェルトセンスです。(急いでご飯食べてのどにつっかえてるんだったら、ちゃんとゆっくり噛んで食べてくださいね)

このように、人間には思考として頭の中で感情や考えを言語化する前に、身体の中で感覚として感情をとらえているのです。

2.「有毒な恥」って何のこと?

「恥」という言葉は色々な側面を持っていて、そもそもの人は恥から逃げることはできないのです。完璧な人間なんていないし、恥と共存して、うまく折り合いをつけながら生きていくのが一般的で成熟した大人の考え方です。

一方で、ACや依存症を抱える人に多いのが、「完璧主義」「白黒思想」「過度に期待に応えてしまう」など、ミスをせずに完璧でなければならない、ミスをしてしまうなんて自分は何てダメな奴なんだ、だから認められるためにはもっともっと頑張らないといけないんだと、完璧ではない自分に対して極度に恥を感じてしまう人たちです。

完璧を目指すことや期待に応えようと努力することは悪いことではありません。問題は、完璧でなければ、期待にこたえなければ、ミスをすれば、私は許されないと強く信じてしまっていることなのです。これこそが「有毒な恥」に冒されている状態なのです。

3.有毒な恥の鍵は、幼少期のトラウマにある

ではこうした有毒な恥は、なぜ人の心に棲みついてしまうのでしょうか。そのメカニズムを説明したいと思います。

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