アート合宿で覚醒した話
小4まで、新聞に挟まっているチラシの裏に毎日5枚以上の絵を描くことが私の日課だった。
思春期に入り、周りの目を気にして、あんなに好きだった絵を描くことに嫌悪感を覚えて封じ込めてしまった。
大人になって
「絵が好きだ、絵を描きたい」
という欲求に気づき、以前紹介してもらったしゅんさんのアート合宿に満を辞して参加した。
1年半前に、アート合宿の主催者であるしゅんさんの家で、大人になってから思いのままに絵を描いたあの日。
その時は、こんなにピュアでポジティブな感情だった。
あれから時間が経ち、今回のアート合宿に臨んだ思いとしては、
「自分の中にある色んな想いを解放して、絵として表現したい」
というものだった。
前回の時のように、綺麗なものだけではなく、
ヘドロのようなドロドロした気持ちも、悲しみの気持ちも、ありのままの自分の全てを、全部表現したいと思っていた。
無意識に自分に呪いをかけていた
合宿初日、最初に自分で描く絵は、絶対に自分の中のドロドロしたものを出し切ろうと思っていた。
そうやって自分を浄化したかった。
それで描いたのがこれ。
あまり好きではないオレンジや茶色を使って描いたけれど、途中からやっぱり綺麗に作りたくなって好きな青やマゼンタを使った。
でも、モヤモヤがとれなかった。
ここまできて、モヤモヤをそのままではなく、綺麗な作品を作ろうとしている自分が嫌だった。
そこで、しゅんさんに相談した。
しゅんさんに「ヘドロみたいなドロドロした感情を作品にしたいんですが、しっくりきていません」と伝えた。
・・・・
大きな模造紙が準備され、大きめなコップを渡され、
「ヘドロをイメージする絵の具たちを、このコップの中にまぜて」と先ほど描いた絵の上にばーっと垂らすようにアドバイスをもらった。
そしてこうなった。
この作品をつくる時、まるで儀式のようだった。
どんなに納得がいっていないにせよ、自分が描いた絵の上にヘドロのような絵の具を撒き散らすのは勇気が必要で、恐れがあった。
でも撒いているうちに出し切る感覚に変わり、快感に変わった。
そして最後の一滴を撒ききり、できた作品を見て気づいた。
日々の中で無意識に積もっていたヘドロみたいな思いをそのまま作品にしたかったはずなのに、ビジュアル的に汚い作品にならなくて良かったと思っている自分がいた。
そこで気づいたのは、
絵でネガティブな感情を「汚いまま」表現しないといけない、そうしないと誠実ではない
と無意識に呪いをかけて思い込んでいた自分がいたことだった。
呪いを解いて見えてきた願い
でも私の中には「絵を美しく表現したい」という真の願いがあったことに気づいた。
その後も「本当にそんなにポジティブな気持ちだけで絵を描いてもいいのかな?」と、うだうだと心の中で迷っていた。(2日目の朝くらいまで)
「もういいや、流れに委ねよう!」
と吹っ切れたように自分が描きたい、美しいと思えるものを思いのままに描くことにした。
そこからはどんどんアイデアが浮かび、結構いい流れに乗れた。
その後に描いた絵は、ヘドロとは程遠い作品だった。
ただただ、ピュアに絵を描きたかったのに、自分で自分に「誠実ではない」と勝手に裁きを下し、悩みを増やしていたんだなと思った。
一度、自分で「こうあらなければならない」と決めたことに固執しやすいタイプなのだと実感した。
喜怒哀楽の「喜」が薄い私を喜ばせてくれたもの
今回の合宿では日常では見えない、色んな自分が沢山見えた。
中でももう一つの発見は、喜怒哀楽の「喜」のポジティブな感情が決定的に薄いということだ。
以前からなんとなく気づいていた。
だけど特にこの合宿ではピュアな人たちが多くて、嬉し泣きをする人や感銘を受けてる人が多いこととは対照的に、自分は鈍いんだなと思った。
だけど、その中でもずっと描きたかったこの「ソメイヨシノ」という作品を描いている時に、小さな喜びの声が出てきた。
この作品はとにかく好きなものを詰め込んだ。春だったので、ENDLICHERI☆ENDLICHERI(堂本剛のソロ)のソメイヨシノという好きな曲イメージで描きたかった。
桜と堂本剛のイメージカラーを使って描こう!と合宿にくる前から考えていた。
参考:ソメイヨシノはこちら↓
曲を聴きながら、ピンク・パープル・ホワイトの様々な色を重ねて
「この配色、可愛い!最高!」
と何度も思って、ピュアに口角を上げながら描いていた。
とにかく耳も目も心も幸せだった。
そしてお気に入りの香水まで振りまいた。
この絵を描いてから覚醒したかのように
「もっと絵を描きたい!」
となったし、喜怒哀楽の喜が薄い自分だけど、絵を描くことに喜びがあるのは確かだなと思った。
合宿のはじまり当初、周りの人を見るとすごい絵を描いている人は沢山いたし、最初は劣等感を感じてもいた。
だけど、この絵を描いてからは「私は私が描きたい絵を描こう!」と心から思えて、自分に集中できていた。
「私の美しい世界」を描いていきたい
最後に自分の絵を皆に鑑賞してもらって、絵から感じたインスピレーションを言葉としてプレゼントしてもらう時間があった。
その中で「世界」「私」「溢れる」というワードを何名かから受け取ったのが印象的だった。
そして、レオナルド・ダ・ヴィンチのこの言葉を思い出した。
きっと私は、
これまでの人生で見て、聞いて、体験してきた沢山の美しいものを、自分なりに美しく表現した世界を創造していきたいのかもしれない。
だからこれからも、自分の感性・感覚を信じて、好きなもの・美しいと思うものを死ぬまで体験して、表現していこうと思う。
周りと比較せず、自分の感性に従って。
そしてこんな清々しいことを言いつつも、絵を描くことでも人生でも、また葛藤したり、うだうだと悩んだりもするんだろうと。笑
そんな不安定・不完全な自分や自分の絵を愛して、葛藤を言葉にしてみたり、流れに身を委ねてみたりして楽しんでいく。
というか、善悪二元論で曖昧なものを嫌う性質がすごく実感できたので、無意識のジャッジに気づく→手放すを繰り返し、もっとクラゲのようにゆらりゆらりと身を委ねて生きていく瞬間を増やしていく。
私はそのままでいい。みんなもそのままでいい。
一度は潰してしまった絵を描きたいという思いを大切にしたい。生きる喜びができて嬉しい。
自分に正直に、善悪のジャッジをせず、もっと幸せになっていこうと思う。
今後は自宅のロフトにプチアトリエを作り、もっと絵を描いていきたいし、もっと表現の幅を広げたい。そして夢である個展を開催したいな…!
p.s.
アート合宿の誰が何をしても許される、善悪のない平和な空間が最高だったなあ〜。
絵を黙々と描いている人、楽器を奏でている人、クリスタル持って瞑想する人、寝ている人、お散歩に行く人…。
一人でいても、集団でいても良い。良い距離感。
とても素敵な世界観、また味わいに行きたいし、またあの中で絵を描きたい。
合宿で得たものは沢山あったけど、今はこの思いだけを記しておきます📝
▼おにりかって何者?自己紹介
▼アート系note