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ノンフィクションインタビューvol.3

米粒です!
このシリーズも3本目になりました。

発達障害(ADHD,アスペルガー)
双極性障害
学校2つ中退
正社員経験ほぼ無し
片耳聴力消失
それでも強く生きる男の生き様

※あらすじ

学校を中退したのち、掛け持ちバイトで常にギリギリだった米粒。
生活を変えようと、大学時代にしていたピザ屋のバイトの経験を活かして地元福岡でのピザ屋でフリーターとして生計を立てる。

2016年3月にピザ屋を辞めて、
2016年4月から土木、造園の仕事に就いた。

インタビューvol.1はコチラ↓

インタビューvol.2はコチラ↓

土木、造園時代


ー2016年、米粒さんは土木、造園の仕事に転職したということですね。


ーそうです。


ー仕事内容とかはどんな感じなんですか?


ー依頼された場所に樹を植えたり、業務提携している公園の樹の剪定をしていました。


ー仕事内容聞く限り、全くの未経験というか作業ですね。その仕事は米粒さんできていたんですか?


ー本当にこの仕事は向いていませんでした。
多分どちらかと言えば、仕事を増やしていたタイプだと思います。


ー向いていなかったというのは具体的にはどんな感じなんですか?


ーまず初日に、樹を植える植樹という作業をやったんですが、樹が倒れないためにロープで結ぶんです。

その結び方が先輩に言われても全く理解できなくて。

初日だから
「これから覚えていけ」
で済んだんですが。


ー結ぶとか作るとかが苦手でしたもんね。


ーあとは現場にトラックで行くんですが、その運転をすることもあるんです。

自分は免許は持っていたんですが、ほぼペーパーだったんです。

普通自動車もろくに運転していない自分がいきなりトラックになると、車両感覚が全くわからなくていろんなところにぶつかりそうになるんです。


ーそれは危険ですよ‥
運転誰かに任せられないんですか?


ーとにかく人が少ない職場だったので運転も交代制だったんです。


ー事故や怪我が心配ですね。


ー運転も怖かったですし、移動中や休憩時間に会社の内情を先輩たちから聞くんですよ。

すると面接と話が違いすぎるほど悪い待遇で、先輩たちも文句言いながら働いていたんです。


ー話が違うというのはよく聞きますが‥


ーあとは、1人の先輩に目をつけられたんです。
作業が遅いだの運転が下手だのめちゃくちゃ言われたんです。
その先輩は
「お前を思って言っているんだ」
って言ってましたけど、明らかに憂さ晴らしの自己満足だったんです。

それで待遇も著しく悪く、自分がいたら仕事が増えるというくらいなら辞めたほうがいいとなったんです。
本来なら自分は選べる立場でもないんですけどね‥

それで社長に、
「今の現場が終われば辞めさせていただきます」
って言ったんです。


ーその会社にはどのくらいいたんですか?


ー2週間か3週間くらいでした(笑)


ー早いですね‥
社長や先輩には何か言われたりしませんでした?


ー社長には面接の時に
「手に職をつけたいです」
と言って入社したんですが、
「そんなんじゃ一生つかんばい」
ってもう呆れ口調でした。

例の先輩には、
お前はニートしてていいから社会に出てくるな
とまで言われていました(笑)


ーよほど合わなかったんでしょうね。


ー自分の職歴の中でもダントツでワースト1位だと言いきれます。


ーではまた辞めて無職になるということですか?


ーもう自分には慣れた職場がいいと思って、それで真っ先に浮かんだのがピザ屋だったんです。


ーまさか‥

ピザ屋2系列目時代


ー以前の店舗には揉めた店長がいて戻れなかったので、違う系列のピザ屋で働くことにしたんです。自分は仕事はコロコロ変わりますけど、空白期間は殆どないんです。
ずっと生活していかないといけないので。


ーまあ米粒さんはピザ屋向いていると思いますよ。
以前のピザ屋でバイトリーダーまでしているなら、少しやり方が違うと言えども仕事はできるんじゃないですか?


ー無双状態のような感じでした。
エリアが地元だったので配達もめちゃくちゃ早く、当時自分が25の歳で周りはみんな大学生だったんですよ。
だから造園時代のように嫌な先輩もいなくて快適でした。


ー米粒さんにとって快適な職場だったんですね。


ー即戦力として、人手不足の店舗に応援に行きまくったりもしたんですよ。
すると給料も月に19万とか入るようになったんです。


ー安定しているじゃないですか!
もういっそそこで社員なればいいんじゃないですか?


ーただこのピザ屋でも金髪だったんです。

ほんとはそのピザ屋は金髪ダメで、
シフトにいつでも入れる即戦力だから黙認されていたんですけどね。
社員は黒髪じゃないとダメだったのでなりませんでしたね、まあそれだけではないでしょうけど。


ー金髪にこだわりがあったんでしょうね。


ーさらに自分、25歳のときが1番性格が尖っていたんです。

造園のときの先輩にかなりイライラしていて、それが解放されたら
もう自分のやりたいように自由に生きる!
って考えになるんです。

そしたらピザ屋で社員を目指すよりも、若いうちに遊んでおこうと思ったんです。


ー遊びですか?


ー当時‥2016年6月くらいですかね?高校時代の同級生に街中でバッタリ会って今度遊ぼうと連絡先交換したんですよ。

その友達とカラオケに行ったり、バイクでいろんなところに出かけたりするようになりました。


ー遊びもないと人生は充実しませんよね。
バイトとのバランスも重要にはなりますが‥


ー最初は普通に出かけるだけだったんですが、
その友達が「女子大生と一緒に飲みに行きたい」
って言い始めたんです。

とは言っても自分達は女子大生の知り合いはいなくて、それで街中で声をかけて誘おうってなったんですよ。


ーそれって‥ナンパというやつですか?


ーそうなりますね。
友達が卒業した大学の近くや、いろんな場所で友達と一緒に女の子に声をかけていました。

そしたら二人組の女の子といい感じに話が盛り上がり、連絡先交換できたんですよ。


ー人によっては成功するもんなんですね。


ーそれでそれが楽しくなったんです。
2016年6月から半年ほど、週に5日は生活のためにピザ屋でバイトして、残りの週2日はナンパに出かけるみたいな感じでした。


ー元気ですね‥
そんなに声って掛けられるものなんですか?


ー人によっては、声掛けられなくて固まる「地蔵」になる人や、お酒を飲まないと声掛けられないって人いるみたいです。
友達がお酒飲まないと緊張するタイプでしたが、自分はシラフでも普通に話しかけていました。
断られたとて二度と会うことはないでしょみたいな感じで。


ー僕は知らない女性に話しかけたりできないのでそのメンタルは強いと思いますよ。

それでその生活が半年続き、ナンパ辞めるきっかけとかはあったんですか?


ーナンパ時代は自分も友達もフリーターだったんですが、友達が就職したんです。
それで時間合わなくなって自然消滅という感じですかね。
自分もピザ屋のバイトの女の子が気になっていたので、ナンパはきっぱり辞めました。


ーそれなら良かったです。

家庭教師掛け持ち


ー生活の変化というか、
2016年の11月に、家庭教師センターから家庭教師をしませんかという電話がかかってきたんです。


ーどういうきっかけがあっていきなり家庭教師なんですか?


ー大学時代に友達と家庭教師のセンターに登録していたんですよ。
それで4年越しで電話がありました。


ーなるほど。


ー自分も教えることは好きでしたし、依頼を受けたんですよ。ピザ屋でバイトしながらですけどね。

それで翌月から、受験を控えた中3の子に勉強を教えることになりました。


ー中3の受験指導って‥失礼ですが、10年近く経っていて教えられるものなんですか?


ー依頼を受けてから実際に派遣される間の1ヶ月で過去問をひたすら解いていたんですよ。
なので思い出して教えられていました。


ーすごいですね‥


ー2017年の3月まで、週5日はピザ屋でバイト、2日休みのうちの1日は家庭教師という感じでした。


ー家庭教師のバイトってお子さんの成績を上げたり、志望校合格させたりするプレッシャーとかあって大変そうです。


ーそのお子さんとは相性が良かったみたいで、その子はすぐに偏差値が上がって志望校にも合格しました。


ーすごいですね!

教え子の志望校合格


ー志望校合格して最後の授業終わってから、
その子に笑顔で
「本当にありがとうございました」
と言われたんです。
塾や家庭教師の先生って、それは1番嬉しい瞬間なんですよ。
それで2017年の4月から、教育系の仕事に就職しようとしたんです。


ー教育系が話聞いているだけでも米粒さんに向いているかもしれないですね。

では次回から、2017年4月からの米粒さんの生活を深掘りしていきましょう!

つづく

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