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ノンフィクションインタビューvol.2

米粒です!

今回は学生時代の続きで、
21歳〜25歳ごろまでの記録です。

※本編に行く前に注意

当時を振り返ったんですが、かなり
「でもでもだって」
のような消極的な表現が多かったので、
人によってはこの記事を見たら不快な思いをするかもしれません。

ただ過去は変えられないので、しっかり反省して記録として書いていきますのでよろしくお願いします。

前回のあらすじ

高校3年生の時に自律神経失調症になり学校にまともに通えなくなった米粒。

美容専門学校に進学するも生来の手先の不器用さで技術系の単位をいくつも落とし退学。

一年浪人した後に大学に行くも、授業に全く興味が持てず退学。

父親から勘当され、福岡で一人暮らしをする。
専門学生時代にバイトしていたスーパーで再び働く。
vol.1はコチラ↓
https://note.com/xxjr_3379/n/nac8f92b60860

発達障害(ADHD,アスペルガー)
双極性障害
学校2つ中退
正社員歴ほぼ無し
片耳聴力消失
それでも強く生きる男の生き様

ではいこう!

アルバイト掛け持ち時代


ーそれで米粒さん、スーパーにこれは戻ったということなんですか?


ーそうなりますね。


ースーパーでの仕事はできているんですか?


ー普通に働けていました。
むしろレジでの商品を「ピッ」って通すやつ、あれをスキャンって言うんですけど、
スキャンのスピードはかなり早かったです。

ペットボトルの品出しもパズルゲームみたいな感じで楽しかったんですよ。


ーけっこう天職な気がしますね。
そこのスーパーに就職しても良さそうですが。


ー最初に採用されたときの店長ならそれ考えたんですよ。
戻ったときにスーパーの店長が変わっていて、その店長がパワハラ気質だったんです。
その店長の奴隷のようになるのが嫌だったんです。


ーでは就職はしなかったんですね。
バイトの給料で一人暮らしは生計立てられるんですか?


ー立てられませんでした。
スーパーのバイトの時間が、
17:00から23時までだったんです。

休憩時間が1時間で、毎日5時間くらいの労働では一人暮らしの生活費も足りないんです。


ー確かに5時間だと、時給が1000円だとしても日給5000円‥


ー当時のスーパーの時給が720円だったのでもっと少なかったです。


ーそれは‥一刻も早く安定したところに就職できるといいですけど‥


ーところが自分はスーパーを辞めずにもう一つバイトを掛け持ちするという選択をしてしまったんです。
長崎からの引っ越しや一人暮らしの準備で貯金を使い果たしていたので、落ち着いて就活する余裕もなかったんですよね。


ー確かに余裕なくなりますね。
でも掛け持ちバイトって大変だし安定しないイメージですね。


ー本当にその通りで、
朝10時から昼15時までカレー屋の配達のバイト、夕方17時から夜23時までスーパーのバイトという生活だったんですよ。

そのシフトも安定して入れるものではないので、毎月ギリギリの生活でした。

さらにバイトが忙しくなると、日常生活の方が自分は疎かになってしまうんです。

支払いの管理がうまくできていなくて、ガスが3回、電気が2回止まったりしていました。

あと部屋が足の踏み場もないくらい散らかったりしていました。


ー典型的なADHDの症状みたいですね。


ー友達からもそんな安定しない生活は辞めたほうがいいと言われていましたし、
自分もまたハロワで就活を始めたんですよ。


ーやはり米粒さんはハロワで正社員の仕事を見つけて、少しでも余裕ある生活をするのが1番だと思います。


ーただ掛け持ちバイトだと休みもないんです。

結局掛け持ちバイトをしていた半年間は、スーパーもカレー屋も休みの完全オフの日は多分10日もなかった気がします。

なのでハロワにも定期的には通えなくなったんです。

それでやはり限界を感じ、とりあえず生活を安定させようと考え、掛け持ちを辞め福岡でピザ屋のバイト一本で生活していこうと思ったんです。

ピザ屋時代


ーピザ屋でというのは長崎県で経験があったからですか?


ーそうです。
それに自分はバイクの運転が好きだったんですよ。

ということで2013年9月にスーパーとカレー屋のバイトを同時に辞めて、翌月から応募して合格したピザ屋のバイトを始めたんです。


ーピザ屋では生計が立てられるほどシフトに入れるんですか?


ー自分がいた店舗は新規オープンの店で忙しかったんですよ。
なのでフリーターということでシフトもたくさん入れてもらえました。
すると額面にはなりますが2013年11月には16万、12月は19万くらい稼げるようになったんです。


ー掛け持ちバイトのときは月収いくらくらいでしたっけ?


ー掛け持ちのときはコンスタントに入れたときで12万ないくらいだったので、早くこの1本にしておくべきだったと思いました。


ー稼げているなら安心しました。
ピザ屋のバイトの中で得意だった作業、苦手だった作業はありますか?


ー配達はかなり早かったらしいです。
自分は一度行ったマンションやアパートは記憶するんですよ。
なので次行く時は地図を全く見ずにすぐ出発できていたというのもありますね。


ー宅配の人って住所言うだけですぐ届けてくれるのですごいと思います。


ーたまに言われます。
「よく地図だけで来れるね」
とか(笑)

苦手だったのが店内作業ですね。
特に配達に慣れてくると、配達だけでなく店内でピザを作ることも覚えさせられることがあるんです。
それで生地をこねるのが最初どうしても丸くならなかったりうまくいかなかったりで。

店長もけっこう怒鳴るタイプだったので、ひどい時には数秒に1回カミナリ落とされたりされました(笑)


ー何かを作るのが苦手って言っていましたし、
一筋縄ではいかないのかもしれませんね。

さっき気になったんですが、
19万くらい稼いでいたって言ってたじゃないですか?
それくらい忙しくなると家のほうはまた回らなくなったりしないんですか?


ー支払い関係はよく分からなかったので、とりあえず給料から数万円を母親に預けて管理してもらいました。

部屋は地元の友達が定期的に来てくれて手伝ってくれてたんです。


ー米粒さんは人に恵まれていますね。


ーちょうど19万を稼いだ月に、母親から実家に戻らないかと提案されたんです。
父親ともなんとか和解して実家に戻ることになりました。


ー良かったですね!


ー電気やガス支払いとかも全然できていなかったので、多分1人では生きていけないと思われていたんでしょうね。

それで2014年の2月に実家に帰り、しばらくピザ屋バイトで生計を立てていたんです。


ー実家で少しでも環境が整えばいいですけどね。
2014年もそのピザ屋でフリーターだったんですか?


ー2014年4月になると、ストレートで大学を卒業した同級生たちが一斉に就職していくんです。

それで自分も焦ってしまっていたんです。
ピザ屋の店内作業が苦手だった故にピザ屋の社員は無理だと思い、
違う仕事をしようということになったんです。

そして家の近所の郵便局で配達員を募集していたのを見て、バイク運転好きな自分はそれに応募したんです。

郵便配達員時代


ーなるほど。
確かに街中で赤いカブを運転している配達員いっぱい見ますもんね。


ー郵便局の面接では学歴のことはほとんど聞かれず、若くて運転も慣れていたこともあり採用になりました。


ー良かったじゃないですか!
配達好きな米粒さんにはまさに天職なのではないですか?


ー自分も最初はそう思っていたんですよ。
入社してみて、たくさんの郵便物を配るようになると誤配という、違う人の家に郵便物を入れてしまうことが頻繁にあったんです。


ー誤配はシャレになりませんよ。
投函する前にチェックしないといけませんね。


ー何回もチェックはしているんですよ。
それでも1日に配る量が多いと、どうしても不注意でミスが起こるんです。

それで上司に頭ごなしに怒られていましたし、自分もうまくいかないイライラを上司にぶつけてしまっていたんです。
結局入社して2ヶ月くらいで上司との仲も完全に悪くなり、居づらくなったんです。

昇給や出世もその直属の上司の判断によるので、この先がないと分かったら辞めようということになったんです。

それで辞めようと思っていた頃、以前働いていたピザ屋の店長から電話があって
「人が少ないからもし入れるなら少しでも来てくれ」
と頼まれたんです。

それで、苦手な店内作業も頑張ってピザ屋で社員を目指そうと思い、郵便局を辞めてピザ屋に出戻りしました。


ー向き不向きがあるのでこればかりはなんとも言えませんね。

ピザ屋出戻り


ー2014年6月に郵便局に入り、9月に辞めて10月にピザ屋のバイトに戻ったんですよ。
そこから半年くらい、徐々に生地作りやトッピング、店内作業を覚えていったんです。

半年後の2015年4月くらいに、今まで躓いていた生地作りがある日突然できるようになったんです。

するとバイトリーダーに昇格し、
シフトも本当に安定するようになったんです。


ーバイトですが昇格したわけですね。
社員への道も遠くなさそうですね。


ーそれが結局、社員にならなかったんです。


ーなぜですか?


ー当時バイトリーダーになってシフトと給料が安定したら、別に無理して社員にならなくてもいいんじゃないかと思ったんです。
実家暮らしでしたし趣味も特になかったので、フリーターでも生活していけたんです。

あとはこだわりになってしまうんですが、
自分は茶髪とか金髪とかの明るい髪色が好きなんです。
バイトならいいけど社員だとダメという縛りがあったりで。

自分はけっこう、縛られる環境が苦手なんです。
自由という意味さえよく知らないくせに、
とにかく自由に生きたいという気持ちだけは人一倍あったと思いますよ。

なんか当時を振り返ると複雑で、
フリーターのままで焦る自分と、現状維持で楽でいたいという自分がいたんです。


ー米粒さんなりの考え方があったんでしょうね。


ー当時彼女もいたんですけど、
社員にはならないと言ったら安定しないってことで振られたんです。

するとまたここで、自分の中の
「このままじゃダメだ」スイッチが入るんです。

ピザ屋で社員目指さないなら目指さないで、違う職場を探そうと思ったんです。


ーまあピザ屋ではなくてもまだ若かったでしょうから選択肢もあったでしょうしね。


ーいつも朝から入っていたバイトを夕方からにしてもらって、就活をしたりしたんですけど興味がある仕事がなかったんです。
なので内定はおろか、説明会にも面接にも行きませんでした。

結果として、2014年10月にピザ屋に戻ってから、2016年の3月までですかね。
本当にズルズルとピザ屋のバイトという形でした。


ーなし崩しというか、不利な選択でしたね。
2016年3月に辞めたというのは何か理由があったんですか?


ーはい。店長とやり方の違いで揉めてしまい辞めることになりました。

実家だったので母親に辞めたことを言うと、
バイトでもいいからとにかく働いてと言われたんです。


ーお母さんとしては当然心配ですもんね。


ーそれで大量募集のコールセンターとかを受けてみたんですけど、普段パソコンを全く使っていなかったんですよ。
タイピングが遅くて不採用でした。


ーどこかしら仕事決めないとまたズルズルいきそうですが大丈夫だったんですか?


ーコールセンターの1週間後に、土木、造園の仕事を受けて採用されたんですよ。


ー仕事が決まったなら良かったですね!
ただ、いきなり土木系ですか‥
なんで土木なんですか?


ー手に職をつければ食いっぱぐれることがほとんどないと思ったことと、パソコンが自分は全く使えないのもあり、そういう職人的な感じでやっていこうと思ったんですね。
体を動かす仕事も好きだったので。


ーでは次回は土木からの仕事を聞いていきましょう!

つづく

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