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居場所がない人に厳しすぎる世の中。

米粒です!

工場の寮を立ち退きになったときの話をします


最初の工場

愛知県の工場にいたとき
毒親と元友達からの心ない言葉や
日々の工場勤務
交代制勤務での適応障害など

色々なことが重なりに重なって鬱状態になりました

唯一良かったこととしては
そのときの会社では
「派遣会社の正社員」
だったので
1ヶ月の休職期間と
給料の6割を傷病金手当としてもらえたことですかね

そして休職後に他の工場に行くか会社を辞めるかという選択をするわけですが

そのときの精神状態では工場を続けられなかったので
辞めることにしました

時系列としては
1月後半に体調を崩し
1月31日付けで契約終了となり

2月1日から2月28日までが実質の休職期間で

辞める場合は
1番遅くとも3月5日までには寮を出ることを言われていました

失うもの

工場勤務を辞めて実家に帰れない人が大変なこととして


住所と仕事を同時に失うということです

さらに自分の場合、愛知で乗っていたバイクが寿命を迎えていたため
引っ越す先でバイクも探さなくてはいけませんでした

2月中旬にはもう辞めることを決めていたので
その頃からスマホで新しく住む家と仕事とバイクを探していました

しかし

自分はどこに行くのかも全くあてがなかったのです

やりたいことがあるわけでもなく、
しかし元友達とも距離を置きたかったこともあり愛知からは出たいという考えはありました
愛知は地域にもよりますが家賃も高めですからね‥

地元の福岡で実家でないところで1人暮らしするのも良かったんですが
やはり近いと実家に戻される不安があり

仕事が多く家賃が安い地域を探していたのですが
これがめちゃくちゃ大変でした

あてがないので絞り込むこともできず
膨大な仕事と部屋とバイクを一日観て
目が疲れていました

仕事はその地域でおいおい決めることにして
まずは地域を絞ることにし

引っ越す県を決めました

一旦切りますね!


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