週報。エントロピーの振幅
この一週間ひたすらに寒くて、週末に一気に暖かくなったけれど桜はまだ蕾も見えない。意外と春ではないらしい。
小刻みな気温変化と花粉の排出は確実に体力を削ってるけど。
刺激に晒す
エントロピーは基本的に低いところにいた方が環境から受ける負荷が下がる。乱雑さが低いということは整理された部屋という意味に近いから。
でもアイデアを得る、刺激を受ける観点では積極的に上げた方が良くなる。それは部屋を散らかすということではなくて。普段と違った環境に晒すこと。部屋の散らかりは高い状態で人が慣れるから。認知上のエントロピーは下がる。けど、環境が変われば適応するまでは負荷になる。この意図的なエントロピー上げが旅行とか散歩にあたる。で、旅行先で急にシナプスが繋がって思いつく、という考え方でどうだろう。
”身体的”体験の組み込み
先週のテストプレイ会で「コンポーネントを全部カードにすれば扱いやすいだろうけど、やることが同じで退屈しそう」というコメントをもらった。それを別のテストプレイで話すと「たしかに記憶に残ってるボードゲームの思い出ってカードを扱う時ではないよね」と展開した。
おそらく身体的体験の差分を欲している。身体的体験の演出がアナログゲームの特徴だとすれば自然な感想だ。戦略的な面白さはカードやルールで作り出すものだけど、コンポーネントの手触りが生むものがこれなんだな。ボードゲームの面白さも層構造に表せそう。見た目で興味が湧くアートワーク層、手触りで楽しくなるコンポーネント層、選択で結末を左右するゲームデザイン層、全体でテーマを体現するUX層、とかね。
コンポーネントの面白さを層として定義すると、オンラインで遊ぶボードゲームって丸々一つ層を捨ててることになるけど…。
そうはいってもいいコンポーネントって難しいよ。思いつくまでも大変。思いついてからも目新しいコンポーネントってつまり、生産ルートが確立してないので予算内に収まらないことと同義だ。
全能と無能の波
モノを作ってると全能感と無能感が波のように訪れて。「もしかして最強では???」「こんなもん作ってなんになるんだ……」を行き来する。
多分見える世界が広がると己の弱さを知り鬱に寄る。井の中の蛙が大海を知る瞬間。そこを抜け出せれば何かを作れるとブレークスルーがあると信じるしかないけど。
これが「遊べるラインに達する」から「面白く遊べるラインに達する」までの苦難の道かな
今週のコンテンツ
フライトゥギャザー
マルチで遊べる、というかマルチ想定のゲームだな。飛行機テーマで、ステージ制でノルマの旅客輸送数があって、航路を設計して運ぶ。
「オーバークックのガワを飛行機に変えた」と形容すると、どういう場面で楽しいゲームかイメージしやすい。とはいえ飛行機を飛ばすのは料理とはだいぶ違って航路同士でぶつからない様にする、追い風と向かい風を利用する、竜巻など短期的な遊びで味が変わる。
遊んでみた感想としてはswitchのリモコン操作で遊べるのが偉くて。コントローラーの方が当然精密に航路が引ける。けれどリモコンのままならなさがパーティを盛り上げるのだな、と。
国会図書館
なぜだか今週も行ってて。『ガーンズバック変換』、『みみずくは黄昏に飛び立つ』、『社会はなぜ左と右にわかれるのか』をば。
読み切ってないものの感想はあまり述べられない。みみずく以前に『ラオスに一体何があるというのですか』で思っていたことがあって。村上春樹の小説を読むよりも村上春樹のエッセイを読む方が好きだ。いや、村上春樹の文章はノルウェイの森以降敬遠してるんだけど。
お隣の天使様
石見舞菜香さんが声優アワードで助演声優賞を獲得していた。おめでとうございます。なので積んでいたこれを一気見。
ホリミヤと同系と感じた。主役の恋愛シチュエーションのために他の全てがある。
あと、椎名真昼が石見舞菜香に決まった時点で割と勝ってる。作画も可愛いけど。
漫画や短めのラノベの話の重点は連載形態に左右されている。最近連載漫画をwebで読んでる件数が増えてて顕著に感じた。単話ごとの面白さが重視されている世界。
ゲーム的には4レイヤー分けで構造を意識していたが、漫画やアニメだともう少し見えやすい切れ目があることがわかってきた。
キャラデザ、コマ単位、ページ単位、単話、一巻、全体でそれぞれのレイヤーで読み手の心を振幅させるか。これは漫画の場合。
お隣の天使様はシーン単位でイチャするし、単話で見ても短く話がまとまってる。全体を把握しないとわからない様な仕込みはほぼ無くて。二期が決まってるらしいが一期終わりの時点で引っ張った要素が無いので、続けて見るにも、これから見るにも非常に気楽だな、と。
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来週はunity1week。前回はドメイン駆動設計に四苦八苦してる間に終わっちゃったのよな。
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