沈黙した美容師よ

髪を切った。ここ最近はホットペッパービューティーで適当に選んだ美容院に通っている。学生街ということもあり、選択肢の豊富さはお墨付きである。

世田谷に引っ越した後も、僕は八王子の床屋へ通っていた。15年以上通っているだけあって、八王子の方の店員さんとは阿吽の呼吸である。近況報告、野球談義、軽口等、話題には事欠かない。行く前には電車内でエピソードトークを数本用意し、一時間半程度の施術中に談笑に交えて放り込む。この作業は脳がキュルキュルとフル回転する様を身体で感じられて、ああ生きているなと実感できる。

しかし、小田急線と中央線を乗り継いでいく往来が億劫に感じるようになってきた。交通費も馬鹿にならない。
最近は未知の土地でも簡単にネットで予約できる。便利なことこの上ない。このようないきさつで、僕は経堂の美容院に通っている。

初めて訪れる美容院は緊張する。
雑居ビルの2階となれば尚更だ。ラスボスが構えるアジトに決死の覚悟で突入する気分。ビルの前から数分間内部を観察してみる。イヤホンから聞こえてくる音楽は、いつの間にメイドバイすぎやまこういちのBGMに切り替わる。

意を決してエレベーターに乗り込む。「2」と記されたボタンを押すと、ズン、という軽い衝撃と共に筐体が上昇する。僕は耳から流れる音を大きくしようとスマホに手を伸ばすが、その逡巡の間に到着してドアが開いた。
いざ中に入ってみると、拍子抜けするほどスムーズなものだ。垢抜けたお姉さんに誘われ、席に案内される。イヤホンを外す頃合には、すぎやまこういちのBGMはSpotifyのシャッフル機能のおかげで日本語ラップに戻っていた。

第一関門を突破した後は「会話」という第二関門が待ち受けている。僕にとって、美容師さんとの会話は苦ではない。むしろ、会話が無い時間が続く方がしんどい。
では、何が関門なのかというと、「どう会話を成り立たせるか?」という部分である。
基本的に、美容師さんは接客業であり会話能力が異常に高い。そういう方に当たった場合は、相手に会話の流れを委ねてゲームを進行していけばいい。髪のセットが終わった時、そのゲームは大団円を迎えているだろう。
ただ、もちろん全員が全員会話のスペシャリストというわけではない。機械的、事務的な会話しか交わそうとしない美容師さんもいる。そんな時こそ、僕の力量が試されると思っている。

ただ、この状況において特殊なのが、あくまでも「髪を切る美容師、髪を切られている僕」という前提である。
そして、会話も散髪と同様に、「進行する美容師、誘われる僕」という「攻め」と「受け」の関係が成り立っている。
つまり、この「ヴァーサス・寡黙な美容師」の場合、僕は「会話を主導する『攻め』の立場でありつつ、体としては『受け』の立場」に見せるよう振る舞わなければならない、というなんとも歪な状況に置かれている。

簡単なのは、髪の毛についていろいろと質問を重ねることだ。気になったことを聞けばいいのだから取り立てて大変なことはない。
「カラーした時に色落ちを防ぐにはどうしたらいいんですかね?」
「パーマっていろいろ種類があって選び方がぜんぜん分かんないんですけど、どうしたらいいですか?」
「髪が伸びてきた時の横のボリュームを抑えたいんですよね」
別に質問は何だっていい。この時、髪の毛の悩み・素朴な疑問について「教えを乞う」の僕、対して、「知識を教授する」美容師、という攻守関係が成立する。その一点が重要なのだ。

もちろん、自分の髪の毛の悩みの引き出しもいずれ尽きてくる。次は土地関係の話をする。
大抵の美容院の場合、新人はカットを担当できない。つまり、担当美容師は店周辺にある程度以上の土地勘を持っていると推測できる。
僕はまだ引っ越して2年半くらいなんでこの辺り詳しくないんですよ、というジャブを入れ、いつから今の店で働いているのか尋ねる。そして、店周辺の美味しいレストランの情報等を聞き込む。さらに、お互いの住所・活動区域の交点を探り合い、共通項ではあるあるで盛り上げ、相違項では教えを乞う。「食」は誰しもに必要不可欠であり、雑談に最適なのだ。

また、「食」と同様に「住」も話題にはちょうど良い。若い美容師は一人暮らしをしている場合が多い。自分が実家暮らしであることを告げ、「一人暮らしってすごいですよね。絶対出来ない自信ありますもん。」とフリを入れる。すると、大概の場合、「いや、慣れちゃえば楽ですよ。」といった回答が返ってくる。
そこからは簡単である。
「自炊とかする時間あるんですか?忙しそうなのに。」
「俺、ユニットバスだけは勘弁して欲しいです。」
「洗濯物溜まりません?」
「ベッドのシーツ替えるのダルくないですか?」
と、自身の偏見紛いの主張を混ぜ込んで質問し、会話の緒とすることでスムーズに話を展開できる。

ここまで来ればそろそろ髪も切り終わり、シャワーの時間になる。
では、逆に避けている話題は何だろうと考えてみる。まず一つ目が相手の趣味の話である。個人的に会話の幅は広い方だと自負しているが、如何せん付いていけない話題もある。アニメ、漫画、女性ファッション誌などがこれに該当する。僕は「受け」の立場だ。表向きは会話の主導権を美容師さんに預けているので、次の話題へ展開しずらい。また、趣味を尋ねられた美容師さん側も、こちらの質問を無下にする訳にもいかず、地獄の数分間が生まれることとなる。それは避けたい。

二つ目は相手の家族の話である。どこに地雷が潜んでいるか分からないからだ。わざわざ地雷原に足を踏み入れる必要は無い。

三つ目は占いの話である。これは個人的にどうしても乗っかりきれないからだ。なんで占いを信じるのか理解出来ない。バイブスをアゲて占いの話をされても引いてしまうので極力避けている。

と、話題の取捨選択を繰り返して小一時間話していれば、間もなくゲームセットだ。今回もなかなかな試合運びだった。第二関門突破。
最後に支払いを済ませれば、この伏魔殿はクリアとなる。ポイントカードをお作りしておきました、とカードを渡される。裏面に記されたAYAKAという名前を脳裏に刻む。また来ます、と会釈し、エレベーターに乗り込む。

再度耳に装着したイヤホンからは、SKY-HIの「Dungeon Survivors」が流れ始めた。

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