神童ピノキオ
「小学校時代の貯金を切り崩しながら生きてるだけですよ。」
謙遜混じりにそう言う機会が多い。
実際、それは間違ってはいない。小学校時代、勉学において僕は紛れもなく周りから抜きん出ていた。中学受験が盛んな都心部と違い、八王子は公立中学校に進学する小学生が八~九割ほどだ。
強い鼻っ柱を屹立させながら早稲田中学校に入学した。中学には、各地ですくすく鼻を伸ばしてきたピノキオが至る所にいた。その自由な校風から、高校を卒業する頃には僕の鼻はボーボーに伸びきっていた。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、僕の周りも多分に漏れずピノキオまみれだった。自分を上田晋也だと思って例えツッコミを極める奴。友達のスケジュールを秒単位で管理する奴。自転車で江戸川から大阪まで走破する奴。みんなギンギンに反りたつ鼻を振り回していた。
もれなく全員社会不適合者だ。
ここ一年ほど、丸くなったのなんだのと言われる機会が増えた。
中高時代を知る人が皆首を傾げているのは至極真っ当な反応だと思う。
原因はひとつ。
酒が飲めないことだ。
なんとなく予想はついていた。両親ともに下戸、アルコールパッチテスト真っ赤、ウィスキーボンボンで3粒でフラフラする…。
それでも、懲りずに酒を飲むことに挑戦した。
酒が飲めるタチだったら、飲みサーでガンガンコールを振って飲むような輩になっていただろう。断言してもいい。
「だって飲めねえ奴が悪いんじゃん。そんな奴放っとけよ、お前も飲めよーー!!え?飲めない?粗相じゃん〜エスー?オー?エスー?オー?SOSOSOS…」
飲酒原理主義者は現在のスタンスの正反対。壮絶なダブルスタンダードだ。
しかし、弱者の気持ちは実際に味わってみないとわからないものだ。
結果は惨憺たるものだった。伸びた鼻はいとも簡単にポキッと折れた。
新歓で小さなコップでビールを二杯飲んだらいきなり睡魔に襲われ、起きたと思えば大皿2枚いっぱいに場ゲロした日。
飲み会の夜は毎晩、家のトイレで嘔吐く日々。
同期にデザートのワッフルを投げつけた日。
次第に、酒が嫌いになるとともに弱者の気持ちがわかるようになった。
飲むこと自体が楽しくないし、なんかイキってる大学生が嫌い。なんで飲み放題の金払わなきゃいけないんだよ…。金払ってゲロ吐きに行くようなもんだぞ、ゲロを3000円/200gで買いたいか?A5霜降り肉か?いや買いたくねえ行きたくねえ。
ただ、ご存知の通り大学生のコミュニケーションにおいて飲み会は必須道具と言っても過言ではない。飲み会に行かないだけで疎遠なままになってしまった人も少なからずいる。
それまでは小四からほぼずっと「強者」の側で生きていて、悪童・ランプウィックに囲まれて、いつの間にか弱者を労ることもしない傲慢なピノキオが生まれていたのだ。
「飲み会=コミュニケーションツール」だと割り切れたのは、それからだいぶ後のことだった。
あと、仲がいい人との飲み会は楽しい。
ディズニー映画・ピノキオでは、主人公のピノキオはその勇敢さと優しさを認められて、最後にはブルーフェアリーの魔法で人間になることができた。
おい、同級生、お前らはまだピノキオか?情報商材にハマったりしてないか?
俺は(表面上は)「人間」になったぞ。
どっちがいいかはわかんないけど。
まあとりあえず今度飲もうや。
勉強という通貨では未だに小学校の貯金を切り崩して生きている。でも、他の通貨では自力でけっこう稼いだ気がする。
この目に見えない仮想通貨は、自分で信じる限りは安定株である。
P.S.
ぼくは、はたちになるまでおさけをのんだことがありませんでした。
きおくのかぎりは。
ありがとうございます!!😂😂