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【つの版】度量衡比較・貨幣06

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。

 ローマ共和国の「第一人者」となったオクタヴィアヌスは、共和政を名目上保ったまま様々な特権を集め、事実上の「ローマ皇帝」となります。これよりローマは事実上の帝国となり、「ローマの平和パクス・ロマーナ」を迎えることとなります。古代ローマ帝国の貨幣を見ていきましょう。

◆THERMAE◆

◆ROMAE◆

帝国貨幣

 カエサルとアウグストゥスは様々な国政改革を行いましたが、貨幣に関しては大きな変更を加えていません。基軸通貨は重量3.8gのデナリウス銀貨であり、一般労働者の日給に相当します。ギリシア語圏ではデナリオンと呼ばれ、古来のドラクマ銀貨とほぼ同じです。各地での貨幣発行権はある程度残され、古い時代の貨幣も流通していたので、より重く純度が高い貨幣の方が価値があります。皇帝ネロは流通量を増やすためデナリウスの重さを少し減らし、純度も少し低くしましたが、皇帝の権威で等価値としています。

 会計単位としては、デナリウスの1/4のセステルティウスがよく使われます。古くは1gほどの小銀貨でしたが、前23年より重量1ウンキア(27.35g)の黄銅(真鍮、オリハルコン)貨幣と定められました。黄銅は銅と亜鉛の合金で、現代日本の五円硬貨がそれですが、五円硬貨は3.75gしかありませんから、セステルティウスの重さはその7.29倍です。

 秤量貨幣とするならば、銀3.8gが黄銅4ウンキア(109.4g)に相当することになり、銀と黄銅の価値比率は1:28.79ほど、おおむね1:29です。当時、黄銅は青銅の二倍の価値があるとされていました。セステルティウスの半分の価値とされるのがデュポンディウスで、これも黄銅製です。とすると黄銅1/2ウンキア(13.675g)で、五円硬貨3.65枚ぶんの重さです。

 青銅貨幣アス(ギリシア語名アサリオン)は、デュポンディウスの半分、セステルティウスの1/4、デナリウスの1/16の価値を持ちます。重量はおおよそデュポンディウスと同じか、やや小さく(9-12g)、青銅なので黄銅の半値です。これより小額の貨幣としては、アスを半分にしたセミス、1/4にしたクォドランスが残りました。

 セステルティウス(Sestertius)とは元来「2(semis)と1/2(tertius)」を意味し、アスの2.5倍の価値があったことからそう呼ばれたのですが、貨幣改革でアスの4倍になったのちもそう呼ばれています。会計単位として用いられたセステルティウスの複数形の省略形IIS(HS)は、ドル記号$のもとになったとも言われています。

 1デナリウスが1.2万円とすれば、セステルティウスは1/4デナリウス=3000円、デュポンディウスは1500円、アスは750円、セミスは375円、クォドランスは187.5円です。日常生活にはこれで充分でしょう。現代日本の最低時給は全国平均で930円ですから、12時間働いても1.2万円に届きませんが。

 デナリウスより上の貨幣には、アウレウス(黄金)という金貨がありました。大きさはデナリウスと同じですが、黄金は銀より比重が重いため8g(ネロ以後は7.3g)もあり、1枚が25デナリウス=100セステルティウス(30万円)に相当するとされます。ペルシア帝国のダレイコス金貨とほぼ同じですが、日常生活で30万円の金貨など使わないため記念コインや金塊扱いです。金銀価値比率は金8g=銀95gとして1:11.8、7.3g:82.5gとして1:11.3です。アウレウスがほぼ純金なのに対し、デナリウスは不純物もありますから、金銀価値比率はざっくり1:12ぐらいでしょうか。

貨幣福音

 新約聖書『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』には、クォドランスをさらに半分にしたレプタ(レプトン)という貨幣が出てきます。

 イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。(マルコによる福音書12:41-44

 1クォドランスが187.5円とすれば、レプタは93.75円です。このやもめ(寡婦)は現代日本でいえば百円玉を二枚賽銭箱に入れたわけです。同じマルコ伝12章には、デナリウス銀貨に関する有名なイエスの言葉があります。

さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした。彼らはきてイエスに言った、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、「なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい」。彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。(マルコによる福音書12:13-17)

 当時のカイザル(カエサル、皇帝)はアウグストゥスの養子ティベリウスですから、この時のデナリウスには彼の肖像が刻まれていたでしょう。ユダヤ人は当時ローマ帝国に服属していましたが反ローマ主義も蔓延っており、救世主との噂もあったイエスが「ローマに税金を納めよ」と口にすれば「あいつは救世主ではない」と貶められますし、「納めるな」と言えば「あいつは反ローマ主義者です」とローマ当局に訴えて逮捕してもらうことができます。イエスはこれを見抜いて見事に言い返し、「お前らも神殿税を取っているじゃないか」と皮肉ったのです。

 神殿税は律法にも規定されており、神を祀り祭司階級を養うためのものとされ、ユダヤ人の義務でした。皇帝や偶像が刻まれたカネでは穢れているとして納められませんから、神殿の前には両替商がおり、偶像のない「清いシェケル」と交換して、手数料をとっています。また神殿の前には屋台が立ち並び、犠牲にするための「清い」家畜や家禽を売っていて、マタイ伝ではスズメ2羽1アス(750円)、ルカ伝では5羽2アス(1500円)したといいます。4羽買うと1羽おまけでくれたのでしょうか。

 マタイ伝17章によると、イエスはガリラヤにいた時、神殿税を徴収する役人が来たのに腹を立て、弟子のペテロに「この世の王たちは税金を自分の子供からは徴収しないだろうが」とぶつくさ言いました。しかし律法に書いてあるので納税しないわけにはいかず、ペテロに「ガリラヤ湖で釣りをしてこい。魚の口の中にスタテル銀貨(4ドラクマ=2シェケル、4.8万円)が入っている。それで私とお前のぶんになるだろう」と命じました。果たしてそのとおりになったといいます。

 イエスには他にもカネに関するたとえが多くあります。葡萄を収穫する労働者たちに日給1デナリの約束をし、朝から働いた者にも、後から来て1時間働いただけの者にも同じ日給を与えた男(神)とか、1万タラントンの負債がある者が王(神)から許されたのに、自分に対して100デナリの負債を持つ者を許さなかったとか、例の「タラントのたとえ」とかです。ルカ伝ではタラントンでなくミナですが、どちらが古いかは定かでありません。

 物価でいうと、男5000人が食べるだけのパンは200デナリ(240万円)とあり、逆算して男1人のパン代は480円、5レプタほどです。イエスが5つのパンと2尾の魚を祝福して配ると全員を満腹させた、という奇跡で有名ですが、『後漢書』では幻術師の左慈が従者100人に酒1升と干し肉1斤を与えて全員を満足させており、不思議に思った曹操が調べさせると酒蔵から酒と干し肉がごっそりなくなっていたといいます。類話は各地にあります。

皇帝恩給

 イエスはさておき、ローマ帝国は相変わらずの格差社会でした。600名の元老院議員(セナトール)は最低100万HS(25万デナリウス=30億円)、2万名の騎士階級(エクィテス)は40万HS(12億円)、地方自治体における市議会議員(デクリオネス)は10万HS(3億円)以上の財産を持っていなければならず、莫大な資産と広大な農地を所有し、多数のクリエンテス(子分)や奴隷を従えていました。

 1世紀末に元老院議員であった小プリニウスは年収110-150万HS(33-45億円)あり、うち北イタリアの農地からの収入が年80-100万HSでした。他に役職手当が年100万HSあり、財産総額は2000万HS(600億円)、所有する奴隷は500人以上いました。これが上の中程度です。幸い古代ローマの富裕層は公共事業にカネを出すのが美徳とされており(ノブレス・オブリージュなる言葉は後世のものですが)、プリニウスは図書館建設・設備費に100万HS、運営費に10万HSをポンと寄贈しています。寄贈された建築物には寄贈者の名前が刻まれ、メンテナンスすれば数千年の後まで名声が残るのです。

 最大の出資者は、当然皇帝です。西暦37年に崩御したティベリウスの遺産は2.7億HS(8100億円)もあったといいます(次の皇帝カリグラは2年で使い果たしましたが)。帝国を支えるローマ街道の建設費用は1ローマ・マイル(1.48km)ごとに10万HS(3億円)もかかり、水道や食糧の配給費、総督や兵士や官僚の給与・年金なども皇帝のカネや国庫から(一応別扱いです)出ていました。2世紀初めのダキア総督の年俸は20万HS(6億円)、トラヤヌス図書館の管理者の年俸は6万HS(1.8億円)ほどです。

 グラックス兄弟が始めた救貧制度は、この頃には首都ローマの市民に対する小麦の無料配給にまで発展していました。皇帝私領エジプトから大量の穀物が届くため、20万人の貧困市民を年間48万HS(114.4億円)の費用で養うことができます(1人年7200円=9.6アス)。ローマに一定期間在住しており奴隷でない者はおおむねローマ市民権を付与されますが、百万人にも迫ろうかという大都市ローマでは貧困市民もかなり多く、放置しては治安や衛生上もよくありません。

 とはいえ配給は餓死しない程度でしかなく、人前で並んで配給を受け取るという恥辱を味わわねばなりません。また粉でもパンでもないため食べるには燃料費や工賃がかかり、小麦だけ食べていれば栄養が偏って死ぬため、「働かなくても食べられる」というわけには行きません。まあ当時はカネモチや宗教団体がパンとかお粥とか配っていたかもですし、地方都市でもそのようなことが行われていたとは思われますが。

 皇帝は気前の良さや慈悲深さを民衆にアピールするため、祝い事があると盛んにカネをばら撒き、記念コインに皇帝の姿や名前、事績を刻んで流通させました。これはユリウス・カエサルが始めたともいい、誰もが手に取り目にすることから、マスメディアやインターネットもない時代には立派な宣伝として機能しました。紙幣に偉人の顔が描かれているのはその名残りです。

 五賢帝の一人トラヤヌスは、貧しい子供への育英資金を施しています。これは年間192HS(57.6万円)、月16HS(4.8万円)ほどです。当時は義務教育も公的な教育機関もありませんが、私塾を持つ教師は多数おり、月謝を受け取って生活していました。初等教育で1人あたり月謝2HS(6000円)、年間24HS(7.2万円)ですから、育英資金で充分に賄えます。私塾の生徒数は15-20人ほどで、初等教育の教師は授業料だけでは年収360-480HS(108万-144万円)にしかなりませんが、アテナイのアカデメイアの教授は年給4万-4.8万HS(1.2億-1.44億円)といいますから桁違いです。

歳入推定

 この頃のローマ帝国の歳入は、9億HS=2.25億デナリウス=900万アウレウス、約2.7兆円と推測されています。アケメネス朝ペルシア帝国の倍ぐらいですが、総人口5000万ともされる割に税収は多くありません。主な税収は属州税で、属州民は収入の1割(1/10)を納税します。総人口の8割、4000万人が属州民として、1戸5人で800万戸。平均年収が1戸1000HS(300万円)として、10分の1税をかければ1戸あたり年100HS(30万円)。これで8億HSになります。あとは消費税(1%)や関税で、総人口の1割(500万人)を占めるローマ市民からは相続税や奴隷解放税などが徴収されます。

 ローマ市民権には多くの特権がありましたが、ばら撒きすぎると税収が減るため、歴代皇帝は増えすぎないよう注意していました。残り1割は奴隷や解放奴隷です。解放奴隷からの市民権取得資格者は、最低3万HS(9000万円)の資産を所有し、子供を持っていなければなりません。パウロはキリキアの州都タルソスの市民で、生まれながらのローマ市民権持ちだったため、布教活動においていろいろ得しています。

各種物価

 もうちょっとローマ人の生活を見てみましょう。市民一人の最低生活費は年400HS(120万円)です。中流市民の成人男性なら、その倍か3倍はあります。家族3人、奴隷1人(現代で言えば家電製品扱い)の中流家庭では、年間支出が2250HS(675万円)、家族4人と奴隷2人なら5000HS(1500万円)ほどが相場です(奴隷や女子供は2人で成人男性市民1人ぶん)。上流市民としてみっともなくない程度であれば年間2万HS(6000万円)は必要でしょう。ローマ軍団兵は年900HS(270万円)ですが、衣食住や退役年金が保障されており、出世すれば給料もあがりました。

 物価で見ると、西暦79年のイタリア本土の地方都市ポンペイでは、一単位のチーズやポロネギ、皿などの小物がどれも1アス(750円)、1日のパン1人ぶんが2アス(1500円)でした。1日3食として1食500円、2食なら1食1アスになります。1モディウス(6.67kg)の小麦が7HS(2.1万円)で、ライ麦は3HS(9000円)です。

 ワインは1セクスタリウス(540ml)で1HS(3000円)かその半分と結構高く、水で割って飲むのが普通です。値段は産地や熟成度合いによってまちまちで、1アンフォラ(26.2リットル)あたり100HS(30万円)から400HS(120万円)したといいます。オリーブ油は1セクスタリウスあたり1-1.5HSほどですが、イエスにぶっかけられた「ナルドの香油」はインド原産の珍しい香草の根をオリーブ油に漬け込んだもので、1瓶300デナリウス(360万円)もしたといいます。

 食糧以外のものを見ると、公衆浴場テルマエの入浴料が1クォドランス(187.5円)です。バケツは2HS(6000円)、チュニック(短衣)は15HS(4.5万円)もします。大量生産できないため、金属製品や衣服は結構な値段がしました。動物では、ロバが500HS(150万円)もします。荷物を運べますし荷車も牽けるので昔は重宝されました。

 奴隷の値段はまちまちですが、女子供は安く、特殊技能持ちや美形なら高いのは古今東西で変わりません。農業用奴隷で1200-2000HS(360万-600万円)、剣闘士は1000-1.5万HS(300万-4500万円)です。奴隷は働いてカネを稼ぐことができ、自分の購入費用ぶんを支払えば解放奴隷となれました。

香料貿易

 南アラビアから輸入される乳香は、1リブラ・ポンドゥス(327.45g)あたり12-40HS(3.6万-12万円)しました。没薬ミルラ)は1ミナ(571g)あたり320HS(96万円)もします。ラクダ1頭は約2700HS(810万円)で、1日あたり40HS(12万円)もの費用がかかりますが、1頭あたり1000リブラ・ポンドゥス(327.45kg)も積み込めますから、香料を運べば高い関税を考慮しても元がとれてお釣りが来ます。

 船なら沈没の危険はありますがもっと大量に運べるため、商人は盛んに海へ乗り出し、遥かインドまで進出しました。インド人は銀貨より金貨で取引したため、ローマからインドへは年間5000万HS(1500億円)に相当する黄金が流出したといいます。アウレウス金貨でいえば50万枚で、黄金3.65トンに相当します。ローマ・コインは海上交易路に乗って、遥か東南アジアまで届いています。

◆羅◆

◆馬◆

 古代ローマ帝国は繁栄を極めましたが、次第にその繁栄にはかげりが見えてきます。次回は衰退期のローマの貨幣を見てみましょう。

【続く】

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