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人間はなぜ存在するのか?

1.同次元では、存在理由はわからない

人間は3次元(見える世界)と4次元(見えない世界)にまたがっている。

しかしこの世界も人間も人間が創ったわけではない。

気がついたらもうすでに存在していたのだ。

ビッグバンから宇宙が始まったとされているが、何者かがこの世界の仕組みを創ったのだろう。

仮にそれを神と呼ぶなら、神は人間の次元を超えた5次元以上ということになる。

2次元の平面世界で生きるアリは、いつ人間に踏んづけられて死んだり、人間が水まきして大洪水の被害に会うかもしれない。

人間も同様に5次元以上の存在、神に生殺与奪をにぎられているのではないか?

科学がいくら発達したとはいえ知らないことだらけのこの世界、いつ自然災害や天変地異が起こるとも限らないという不安はつきまとう。

2.今この瞬間だけが真実?

ではこの5次元(ここでは神と呼ぶ)のことはわからないのだろうか?

人間の頭では理解できない。

人間の思考は時間がないと機能しないからである。

神は時間のない永遠の世界の存在で、我々がいるこの世界を有らしめている存在、いわば無である。

その存在を直接みることはできないが、この世界を存在させ維持させているその働きといってもいい。

どうも、時間のない今この瞬間にいるっぽい。

今、今、今、と連続すると時間になるが、

今この瞬間を頭ではなく、感じている時、時間は存在していない。

何かに熱中している時、読書に没頭しているとき、スポーツでプレイに熱中している時、セックスに我を忘れている時、時間は存在していない。

いや、それが終わったあと、確かに「もうこんな時間か」って、時間たってるじゃないか?と思う。

しかしよくよく考えてみると、行為が終わったその時に時計を見て判断したのであって、時計を見ているその瞬間も今であり、時間はあくまで時計の針が動いているという前提での判断では?

いや、太陽が西に確かに沈みかけているから時間がたっているじゃないか?

しかし太陽が動いているのを見ている瞬間というのも、漫画の一コマ一コマの連続で、それを頭でつなげて動いているように映像化しているだけで、一コマを見ているその瞬間だけが有るのではないか?

日常生活のどのシーンをとっても、そのシーンを見ているのはあくまでその瞬間で、それを頭でつなげて動いているように感じているだけでは?

感じているのは、いつでも今この瞬間の目の前のシーンであって、後づけで思考感情がそれをつなげてストーリーを展開しているのでは?

時間はあるっぽく見えるが、その証拠は?と問われれば、時計の針の動きや太陽の動きを言うが、その本質は今この瞬間の連続でしかない。

時間が幻と言われるゆえんである。

今この瞬間に感じているものだけが真実で、時間は頭で創り上げた幻想にすぎない。

考えている瞬間も含め、どんな日常も今この瞬間でなかったないことはないのだ。

これから起こるであろう未来もその時がくれば、やはり今この瞬間に起こるのだ。

時間の感覚が無い時、

もしかして神に出会っているのではないか?

3.神はなぜこの世界を創ったのか?

人間の次元で考えれば、何でも自由に創造できる神にも1つの欠点があった?

自分が何者かわからない

そこで自分を表現して、その表現されたものから自分を知ろうとした。

その表現されたものがこの世界であり、それを体験させ認識する存在として人間を創ったのではないか?

その人間の認識をフィードバックして自らを知ろうとしたのでは?

その準備として(時間の概念ではそうなるが、実際には一瞬で創ったはず)魂を無数に分化させ、まず霊界で何でも自由に創造する創造の技を習得させ、

やがてそれを物質化するこの世を創らせ、そこで時間という幻の中で、人間として無数の表現者、体験者として、神の属性を余すことなくこの世界に現実化していく。

それを一言でいえば愛の世界か?



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