![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74742588/rectangle_large_type_2_1c39273b9705968d7e63095287fa4d89.png?width=1200)
昭和の旅館を令和のゲストハウスに
わたしたちのゲストハウスは
もともと、昭和30年代に元船乗りのオーナーによって
臼杵港にあった網元の家を移築して建てられた旅館でした。
今回、大家さんのご協力により、当時の写真が出てきました。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74704429/picture_pc_7cb4e20947092f9e09f155f360df20bc.jpeg?width=1200)
短パンと下駄(よくみると半裸!)に時代を感じる昭和30年代。
かつて多くの船乗りで賑わった港町商店街の入口から徒歩1分。
臼杵城址の南側に位置し、「城南荘」という名前で営業していました。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74704571/picture_pc_c797404d154dba6f0844c29919ffcd81.jpeg?width=1200)
臼杵港から近いこともあり、宿には常にたくさんの船乗りが滞在して宴会をしていたそうです。
確かに、部屋中の拭き掃除していると、今でもかなりタバコのヤニ汚れが出てきます、、
滞在客のなかにはなんと、相撲大会に参加するお相撲さんや
ギリシャからの海外船で寄港した船員もいたとのこと。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74704666/picture_pc_bb45b246f3c9a302dab861ee1250ad91.jpeg?width=1200)
お二人はこの宿でたくさんのお客さんに囲まれて育ったそうです
当時は、ご主人(大家さんのお父さん)は船乗り。
奥様(大家さんのお母さん)が料理担当。
お女将さんが一人で宿を切り盛りしながら、
旅館が最も栄えた頃には、住み込みの仲居さんが2人いたそうです。
「雑魚寝を入れると20人以上泊まっていたかも」と話す大家さん。
宿泊客の食事はすべてお膳に載せて、2階の部屋へ配膳していたそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1647862001854-XumXC8I3gV.jpg?width=1200)
当時は、トイレもお風呂も、宿泊客で共有するのが当たり前。
そんななか、船乗りのご主人がアメリカで見たモーテルスタイルに衝撃を受け、部屋に風呂とトイレがついたプライバシーのある新館も増設し、当時はその画期的なアイディアに多くの予約が入ったそうです。(残念ながら今は使用していません)
![](https://assets.st-note.com/img/1647862081511-Fy4D7yZQhP.jpg?width=1200)
親戚の子供が集まった集合写真。後ろにある縁側と庭は今も昔も変わりません。
今後、私たちは共有スペースとして活用予定です。
子どもの頃の宿での思い出を嬉しそうに話す大家さんをみて
次は、私たち夫婦が令和の時代にたくさんの人が集う宿にしたいと、
改めて思ったのでした☺️
オープンに向けて絶賛リノベーション中!
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