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グルメ情報の価値に対する時代の変化

割引あり

1990年代からレストラン情報、好きな言葉ではないが、いわゆるグルメ情報を発信してきた。
2020年代に入り、その性質が大きく変化したと感じている。
そのことについて書いてみよう。

僕が情報発信を始めた頃は、どんな店がどこにあるのかはタウンページ(という名称の職業別電話帳)が最もまとまった情報で、そこには、屋号、所在地、電話番号しか書いてなかった。
これではほとんど役に立たないので、店に行き、営業時間や定休日、どのような料理をいくらで提供しているのかを調べてインターネットで公開した。
当時はまだ写真をアップできるような環境ではなかったので文字だけだ。
デジカメはまだQV10が出たばかりで高価だったし(でも買った)、通信速度は14,400bpsだったし、個人のウエブサイトは20MB以下くらいしか容量がなかった。
写真なんて掲載できないので、文字だけで味を、料理を、雰囲気を、頑張って表現した。
当時は食べログもないし、グーグルマップもない(どちらも2005年ローンチ)。
そのため僕の情報は貴重で、食べることが好きな人達が大勢閲覧してくれた。
最盛期には一日で7-8万PVあったと思う。

現在はどうか。
既存店は当然として、新規店であってもオープン前に情報を得ることができる。
つまり、レストラン情報は圧倒的に入手しやすくなった。
ここにこんな店ができたんだと知り、ちょこちょこっと調べただけで、速攻で訪れた人たちがメニューや写真をアップしてくれている。
SNSで発信する店も増えたので、そちらからも情報を入手できる。
超不便な時代を知っている昭和のおっさんは、なんて便利な世の中になったのだろう!と感激している。

もはや、ここにこんな店があり、こんな料理を提供しているというのは情報インフラになりつつある。
舗装された道路と同じで、インフラとしてのありがたみを感じないくらいになってしまった。

店側にも変化がある。
昔は難しい店が結構多かった。
僕が若い頃に頑張っていい鮨店に行くと、お前みたいな若造にウチの鮨がわかるのか?と態度で示されたりした。
これはどこのタイですか?と訊くと、タイは海で捕れるんだと言われたこともある。
そんな感じで、常連にならないと相手にしてもらえない店がたくさんあった。
そんな店では社会的ステータスが高い人と一緒に行くと態度が一変する。
今でも東京や京都にはそういう店が残っているようだが、日本全体で見るとかなり減ったのではないか。
要はそこそこの礼儀をわきまえていて、支払がキチンとできれば誰でも著名な店に行けるようになった。
予約が取りにくい店はあるけれど、逆にいえば予約さえできれば誰でも訪れることができるということだ。
そういう意味では民主化が進んだと思う。
お金さえあれば有名店を食べ歩くのは誰でもできることになったのだ。

この場所に、こんな店があり、こんな料理が提供されていますという情報は既に無料で大量に提供されている。
有名店でも予約さえ取れれば誰でも訪れることができる。
では、そんな時代のグルメ情報はどうなるのか。
これからの時代において、どのような情報が価値を持つのか。
そのことについて考えてみよう。

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