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冷静な私(東京に帰ってきました)

今日もツアー報告記は書かない。
なぜならば、東京に戻ってきたからだ。母の住む茨城に12日間滞在し、今日東京に移動してきた。このまだ新鮮なこの日の気持ちを、文章に残しておくことを優先すべきと判断した。

ついこの間まで、ロンドンで日常を過ごしていたのに、今は東京にいる。
でも、東京に住んでいたのが昨日のことのように、なんとも驚きの、懐かしくなさ。全部全部、昨日まで見ていた景色のように、肌に、心に馴染む。自分の全身が、すんなりと全てを受け入れる。

ロンドンでの3ヶ月半の暮らしが、まるで白昼夢のようだ。小説を読んだ、読後のような気持ち。記憶にはあるが、実体験ではないような、遠い世界の話のような、でもしっかりと心には温度感やスピード感のような、なんとなくの感覚が残っている感じ。なんだか悔しくなってしまった。怒涛の日々を送り、確かにあまり充分に友人との再会がしきれたわけではないのが心残りだし、3分の2の期間はツアーに一杯一杯で、日々をゆったりと吟味する余裕がなかった。ホリデー(休暇。旅行とか。)も思ったより取れなかったし、あっという間の滞在期間だったんだけど。

 あまりにも、東京、君は私に近すぎる。
私のあの日々はなんだったの??
…と、下北沢に着いた瞬間、気が遠くなってしまった。

そんな打ちひしがれそうな私を救ってくれたのは、ロンドンでの友達とのやりとり、会話だ。
ギグを見にきてくれた子がいる、そこでしか会えなかった子、友達のギグの会場で少しだけ喋った子、メッセージをくれた子。一緒に働いた子、飲みに行った子。カフェに行った。バドミントンをした。ピクニックに誘ってくれた。会えなくても、またすぐに会えるよね!と言ってくれた子。

そんな友達一人一人の顔を思い出すと、下北沢でなんとなく悔しい思いをしている私がバカらしい。
充分素敵な思い出が、できたじゃない。新しい友達もできて、懐かしい再会もできて、心を交換できたじゃない。
行きたかった美術館に行けなくても、フィヨルドを見に行けなくても、
コロナに罹ったような気がするし、なんだか後遺症も残ってる気がするし、
本当に人権無視?と思いそうになるくらいキツい瞬間もあるツアーだったけど、

楽しくて、幸せだったじゃない。
しもきたもいいところよ。アンタが選んで帰ってきたんでしょ。嫌ならロンドンに帰れば良いじゃない。

と、冷静な私が言うのでした。

移動こそ人生、なのかもしれない、と私は思っている。


追伸:日本のパン屋、まじやばい。アドレナリン出まくった。

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