戻らない日

『信仰』って皆さんは、ありますか?私は宇宙からの不思議な力を信じています。全ての行いを誰か、いや何か得体の知れないモノに支配されているような、そんな気がしています。

・自分の未来が当たる

・自分の願いが叶う

・悪い事を回避する


宇宙から、お告げがくるようなそんな感覚。勘がいいとはまたちょっと違う感じだと思う。私の勘は鈍い。


・子育てで感じたスピリチュアル

私は長男を出産した時、喜びと絶望が込み上げた。命が誕生するという事は、この子にもいつか生き絶える時が来るという現実があるという事。

私は命というものが怖い。なんでこんなに怖いのか、きっと何かスピリチュアルな何かがあるという感覚に捉われた。

私は命というものが尊く、素晴らしく、怖いという感覚の中で3人の命を誕生させた。

元々、私は子供が好きだった。子育てにアレやりたい、コレやりたいという夢があった。でも私以外の大人たちからの子育ての意見を取り入れなければならないという頭ごなしのルールを破る事ができず、私の夢は抑えつけられた。

もっと自分が母親なんだと堂々とすればよかった。

あの頃の私は、子供に対する悲しい事件をテレビで見たりする度に、悲しい子供達の分まで私は自分の子供を大事に大切にしようと思った。

お遊戯会で踊る自分の子供では涙が出ず、他所の子供さんのお遊戯で何故か涙が出た。自分の子供に怒る事ができずいつも笑顔で褒めていた。義父母の前でも完全なるイエスマンで、私の家での順番は家事、仕事、そして育児だった。

今の仕事での早い出世があるのは、あの頃の精神力と要領と器用さがあったからではないかと思う。、、、だけど本当に大切なものって見失ってないかな。。。。

子供達の成長のシーンで

成長の節目は色々あるが、普段何気ない子供と自分が一緒にいる時に、とても不安になる事があった。

小さな子供の手を繋いで歩いた時、学校へ送って行った時の子供の後ろ姿、

今この瞬間の子供との記憶を一生忘れてはならない。そんな思いが急に込み上げてくりのだ。

その度、私の脳は熱く集中しそのシーンを鮮明に、出来るだけ鮮明に刻んでいた。あれは、子供の記憶を忘れるなという未来の私からの想いだったのだろうか。


現在、子供達と離れて暮らし3年が過ぎた。

今、私は子供が苦手だ。他所の子をまともに見れない。自分の子供に似た子を見つけると遠目で自分の子供と錯覚させて想いに耽る。涙が出るのは自分の子供を思う時だけ。

大事な大切な3つの命が私の中から離された。

宇宙にいる何モノかに私はいつも交信する。

母は、あなた達の事をちゃんと愛してます。忘れることなんてない。あなた達の幸せを願わない事なんてない。

私の信仰は変わらない。宇宙の何モノかに感謝をしている。過ぎた日は戻らない。

宇宙からのお告げに耳を傾けて、みんなの幸せを願っている。

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