私のジンクス

村上春樹の小説には色褪せて輝きをなくしてしまった女性が度々出てくる。
彼の繊細な感性を持つ瞳がそれを知っているからこそなのかもしれない。

期待することを失った時に少しづつ少しづつ
自分がそれに近づいていくような気がして、怖くなった。

期待が裏切られて傷つく前に、それを回避する。
そうやって積み重ねてきたものが、希望を持たない、輝けない姿を作り出している。

永遠に輝き続けられるのは、夢を叶えてきた人たちだ。
他者が自分の期待を裏切らないのはかなり難しい。
だって、そもそも自分の期待を相手は知らないかもしれない。
そして、知ったとしてもその期待に応えることは容易ではなかったり、自分自身の意志に反するものかもしれないことが多い。
期待に応えるなんてのは、時に勝手に自分の首を絞めていく。

だったら、自分自身が自分の期待を裏切らないで生きていくしか道はない。
そうやって強く逞しく生きていくことは、内なる輝きをより深いもにしていく。純粋無垢に燦々と輝くようなあの頃のものとは違うが、それは美しく

私のジンクスで、何か失くしものをすると良いことが起こるというのがある。お気に入りの花のピアスを失くした時には、

大振りで明らかに失くしそうにないピアスが気づいたら耳から逃げていた時も、

そして、大きな期待が裏切られた。
いや元々私は期待感なんて持っていなかったのかもしれない。
期待するような希望の余地が私にはもうなかった。


人生はジグゾーパズルみたいだ。
埋まらないピースを永遠に埋めよとして、
そのせいで、次のピースさえも埋められなくなってくる。

色彩を持たない多崎つくると、かれの巡礼の年を読んでいると
どうしても自分と重ね合わせてしまっていた。

私はかつての自分が疎かにしていたことをやり直していかなければ、
次のジグソーパズルを正しく埋めることができないということに気づいた。

一度諦めてしまったものにもう一度手を伸ばしてみる。
そして、それをどうにかして完成させなければいけない。

私の巡礼が始まる予感がした。

そしてついに最後のピースを埋めた時、
あの頃出来なかったものができるようになったことを知る。

それだけ自分が着実に前に進んでいることも。

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