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問いの意義を共有する Sharing Backgrounds of the Question
問いそのものより、なぜその問いが重要な方がポイントかもしれません。調査することで学術的に重要な知見が得られるなら、どんな問いであってもOKです(答えられるなら)
— Shungo Suzuki (@shungosuzuki) September 14, 2023
「論理的に間違っている!」と思った後に、前提のズレ(相手の結論にはどのような前提が要請されるか)と「定義のズレはないか? カギカッコはどのような意味で使われているか?」といった意味論上の曖昧さを検討する必要がある。
— ふかくさ (@fukaxa) July 1, 2014
初学者(主に学部生)向け論文の書き方の本を読むと、文章から論証の構造をしっかり読みとりなさい、そして自分が書くときもしっかりとそうした推論の構造をつくりなさいとよく書いてある。論証 arguments の構造とは2つ以上の文 sentence or statement のつながりであり、それらは前提 premises と結論 conclusion or consequence という関係で結ばれている。
評論や小論文 argumentative essay を読むときは、大学受験の現代文で習うのと同様、まず筆者のイイタイコトをつかむのが大事だと言われる。それがこうした論文書き方本ではまず結論が何なのか、どの文なのか特定せよ!というアドバイスになっているわけである。まず結論をつかめ!次にその結論に必要な諸前提を表明している文を探すか、それが文中に無いとしたら、どんな前提が省略されているか明示せよ、ということである。なぜならば、そうすることで筆者の論証の構造を自分自身で再構成してクリアにつかむことができるからである。
論証の構造、言い換えれば論文中の命題と命題とのつながりは大事である。なぜならば、それがなければ根拠や理由や証拠が添えられていない単なる印象や感想だけになってしまい、論文とは言えないからである。
しかし、さらに下がってみると、論文を含むどんな文章でも、文章であるからには読み手に内容が刺さらなければ値打ちが無い、それどころか値段がつかず誰も引き取り手が現れないということに気がついた。こんなことは当たり前過ぎて、恥ずかしいことなのかもしれない。
筆者の問いがあり、筆者の答えがあり、筆者の答えに対する前提がある……というだけでは文章として刺さるものも刺さらないのである。「子供の頃に誰もが感じていた素朴な問い」なのだから、なぜこれを問いたくなったのかについて説明不要であろうとか、「この学問では長いこと興味の的だった時期のある主張」だったから、それを論題とするのに説明は必要としないであろうといったかたちで説明をサボると、読み手は書き手がなぜこの珍妙なパズルに回答したがっているのか、何をアピールしたがっているのか、その肝をつかめずに、ただ形式的にこのセンテンスが結論に当たると言うばかりだろう。「なるほど、あなたの結論はわかった。その前提も理解した。それで???」ということに成りかねない。
もし我々が小論文の書き手であれば、読み手に対して、「これは問う必要がある問いだ」「他では読めない主張だ」「もしこういう主張の可能性が開ければ、未知の世界にいける」「従来の主張はこの評価軸ではこういう分布やランク付けになるが、私の新しい主張はそこに新しい主張を追加できる」といった説明を提供しなければならない。なぜならば、そうしなければ読み手はその後に続く論証が自分にとって読むに値するか判断材料がないし、また、下された結論に対しても読み手は書き手の意図に沿った内在的成績評価ができないからである。
たとえ書く文章が論文であろうとも意味論的な背景説明はサボれないという話だ。
(1,290字、2023.10.06)
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