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イヤな親の思い出 the memory of my parent

うちの親はネイチャーが好きである。一方、私は野外活動が嫌いな子供だった。テレビゲームや読書の方が楽しめた。しかし、日曜日になると、私の親は泣きじゃくる私を強制的にバンに載せ、あの山脈地帯へと連れて行くのである。お出かけが好きな子供にとってはうれしいことなのかもしれないが、私には苦痛でしかない。学校も苦痛、親も苦痛だ。

山脈の風景は退屈だ。植林され枝打ちされたスギがイヤというほど斜面に並んでいる。あとは遠くの緑と田んぼとアスファルトと白いガードレールだけだ。山奥の自然博物館やアスレチックにはもう飽き飽きしている。今は私も鳥が可愛いと思えるが、当時はそういった動物に対する関心も無かった。地方自治体が設置した古びて退屈なアトラクションは私の興味を引かなかったし、地方の貧しさすら感じた。

また、山道を徒歩で登らされるのも苦痛であった。ツタや虫が身体にひっついてうっとうしいし、土で汚れる。あとどれぐらい歩けばいいのかさっぱりわからない。景色なんかどうでもいい。蒸し暑い。さっさと帰りたい。

帰りは帰りで田舎の山道は真っ暗だ。自動車のすぐ前にあるガードレールしか視界がない。自動車のライト以外に人工のライトは無い。だいたいこの道路をは知っているのは自分の車しかない。退屈さと寂しさと怖さと寒さしか感じなかった。

それに加えて、うちの親はどう考えても必要以上に写真を取りたがる。海に行こうと山に行こうと集合写真を場所が変わるごとに、30分歩いたごとに取りたがる。「並べ」と言われ、「フラッシュがなかったからもう一枚取る」と言われ、「自分も移るから交代しろ」と言われる。来たくもないところに来た上のことで、さらにウンザリする。何もかも早く終わってほしい。早く終わらせるためには言うことを黙って聞くのが早かったのかもしれないが、私は子供だったので不満を言って抵抗して時間はさらにかかり、とにかく疲れた。いいことは一つもない。私は観光が好きではない。

ここには書かないが小学校での時間も人生サイアクであり、小学生時代はとにかく泣いていた憶えしかない。二度とあんな境遇に落ちたくない。それもこれも親や教師にすべて強制される立場だったからだ。ただでさえ思い通りにいかない人生なのだから、少なくとも強制を排除できるだけの力と自由を持たなければならないと強く思った。

ところで、大人になってからその人生最悪の時代の写真アルバム(当然、大量に撮影されたので大量にある)を見ることがあった。そこにはもちろん、小学生の私の顔が映っていたが、すべて笑顔であった。

(1,063字、2023.12.24)

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