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ボードゲームと社会 Communications with Table-Games

『ボードゲームで社会が変わる』という新書では、ボードゲーム(ここではテーブルゲームと呼ばれるもの全般を含み、特に欧米産のものを念頭におく)について次のような主張が記してある。

與那覇 この本を通じて、私たちとしてはぜひ、……「やはり、ボードゲームで社会が変わる」と主張したい。決して遊びとしての楽しさを減じることなく、かつ社会をよい方向に変えることができると。

p.17, 與那覇潤・小野卓也『ボードゲームで社会が変わる 遊戲(ゆげ)するケアへ』河出新書069、2023。

「ボードゲームで社会が変わる」という主張文は単独で額面通りに受け取ることはできない。なぜならば、まずボードゲーム自体に備わった楽しさを保存したままという留保がついており、また、「社会」が単に変わればいいのではなく、「よい方向に」変わるという含みが補足されているからだ。また、社会についてもどのぐらいの規模を想定しているのか、単に一緒にプレイしている人間関係のあり方なのか、それとも文化圏単位の話なのかはハッキリとしていないからでもある。他の部分を読むにおそらくその両方に良い影響を与えるはずだということなのだろうと推察できる。

そもそも「ボードゲーム」にどのような特徴を発見し注目するのかについても、当然統一見解があるはずもないが、本書では主に以下の特徴づけが挙げられている。

特徴(1) 対面でプレイすることによってメタゲームが発生する。すなわち、顔も声も無いオンラインゲーム上で単に勝ち負けを競うのとは異なり、対面でのプレイではお互いに良いプレイについて教え合うことができる。また、ゲーム設計によって、プレイイングに対して助言しやすいゲームをつくることができる。

特徴(2) ボードゲームはそれ自体をプレイして楽しむ以外に、外部に目的を持たない。あるいは持たない方が望ましい。なぜならば、もしボードゲームに外部の目的を導入すると、ボードゲーム自体の楽しみが減退し、プレイ行為はタスクに成りがちだからである。この点はスポーツに似ている。

特徴(3) ボードゲームでは、発声や発話の代わりにカード選択を用いるなど、ゲーム設計によってプレイヤー間の能力格差が調整できる。

特徴(4) ボードゲームでは、オフラインであってもプレイヤーの属性を伏せやすい。なぜならば、ボードゲームの指し手について属性による差異を見いだしにくく、また基本的に属性によるステレオタイプも薄いからである。

特徴(5) チューニングが容易である。デジタルゲームあるいは電源ゲームと比較した場合、強過ぎるカードを抜いたりプレイする順番変更などが容易である。

この著作中でも様々なボードゲームが紹介されており、それらにはそれぞれ性格があり、当然楽しめる人も楽しめない人もいるだろうことは想定されている。したがって、ボードゲーム一般が社会をよい方向に変えるというよりも良いボードゲームが特定の社会を良い方向に変えると主張を解釈し直した方がよさそうである。

では本書でプッシュされている「良いボードゲーム」とは何なのかというと、プレイヤーの間の能力格差やルールや定石に対する知識格差をうまく隠蔽するようなデザインがなされたゲームということになる。なぜそのようなデザインが良いデザインなのかというと、そのようなゲームであればプレイヤー間の格差を気にせずにゲームが終了するまで一緒に楽しめるからだということになるだろう。つまり、ここで推奨される価値は「一定時間を他者と一緒に楽しむ」という包摂的かつレクリエーション的な価値であって、お互いに特定の技量を競い合うような勝利至上主義であったり、少数の測定基準による評価ではない。上記に挙げた特徴もそのような目標に沿ったゲームデザインに近づき、それに近いプレイ体験を共有するためのものになるかと思う。

また、他者と楽しむといっても、相手の顔がまったくみえないオンラインゲームにおけるそれとは異なり、オフラインでは断片的であっても相手のトータルな人格の発露や同じ現場にいることの存在感が発揮される。ゲーム内の相手としては対等以上でありながら、実際にコマなどを動かす人間としては自分と全く異なる属性の相手であるらしいことを予感させることができる。このような状況下にあって、どのようなメカニクスをゲームに与えれば、どのようなコミュニケーションを誘導し、それがどのようにプレイヤー間の人間関係に影響を与えることができるのか、というのが本書の主線(おもせん)であり、すなわちボードゲームから「社会」への影響経路ではないかと考えた。

(1,881字、2024.02.01)


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