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ペリドットの君《短編小説》

僕には小さい頃から、お気に入りの場所があった。
秘密基地みたいな、そんなとこ。
気分が沈んだり、嫌な事があった時は必ず来る。

あの日も、お母さんに叱られて家を飛び出した。
僕の秘密の場所…と言っても、小さな湖とその周りに広がる、シロツメクサが咲いてるだけなんだけど。

その日、先客がいた。まだ小学生だった僕は、自分だけの場所を知らない誰かに取られた気がして腹が立った。

「此処で何してるんだよ」
振り向いたのは、華奢で小柄な少女だった。
小学三年生くらい?
そしたら僕の方が歳上だ。

僕は自分が歳上であると、勝手に確信してぶっきらぼうに「此処、僕だけの秘密の場所なんだけど」
少し強目に言うと、少女は目を丸くして「私の場所よ」と言い返してきた。
「え?だって、僕は君を見た事もないよ」と答えると、「私はあなたを知ってるもの。よく此処に来て、考え事したり、お昼寝してる事も」少女は見掛けによらず、大人びた口調でそう言った。

不思議だけど、それを聞いても少女の事を気味悪いとか、変な警戒心がわかなかった。

「私、毎日大体来るの。時々来れない時もあるんだけどね…」
少し寂しそうに笑った。

僕はそれから学校が終わると、直ぐに此処に来るようになった。

少女とはあれから直ぐに打ち解けた。
色んな話をした。将来の夢。好きな食べ物、お気に入りの本…。

ただ一つ、少女が学校の事を話さない事が気になった。

進級の年を迎え、僕は中学受験に追われる様になった。
段々と、少女に会えなくなっていた。

塾帰り、ふと久しぶりにあの場所へ行きたくなった。
もう夜の10時。
こんな時間には行った事もないけど、どうしても行きたかった。

夜の湖は、月の明かりだけを受けて、湖面を静かに揺らしていた。

「久しぶりね」突然背後から声を掛けられ、びっくりして振り向いた。
そこには、少女がいた。
いや、少し大人っぽくなった彼女が微笑んでいた。

僕は嬉しいのと、気恥ずかしさで直ぐに言葉が出なかった。
「中々来ないから…寂しかったわ」
彼女は僕の瞳をじっと見詰めたまま言った。
「ごめん…忙しくてさ。けど君を忘れてた訳じゃないよ」
「知ってる。私もしばらく此処には来れなくなりそう。だから…」
彼女が首から何かを外した。
それは、綺麗なグリーンの小さな宝石が付いたネックレスだった。
「ペリドット」
彼女はそう呟いて「もう行かなきゃ…。御守りよ」
僕の掌にそれを残し、暗闇に消えて行った。


「もう大丈夫ですよ、明日には退院出来ます」
患者さんは嬉しそうに「ありがとうございます」と笑顔でお礼を伝えてくれる。
僕はその笑顔が見たくて、医者を続けているのかもしれない。


彼女は小さい時から身体が弱く、学校にも通えずにずっと入院生活をしていたと知ったのは、中学受験に合格した後だった。
あの日、彼女は手術を次の日に控えていた。


待ち合わせのレストランには、もう先客がいた。
首元には僕の御守り代わりのペリドット。

「お待たせ」僕が謝ると彼女は「大丈夫。待つのは慣れっこ」と、屈託ない笑顔を向けた。

[完]

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