マガジンのカバー画像

長編ミステリー コSign

20
2年半費やしましたが、ようやく小説が完結しました。 「コ」は小・故・固・呼・股・娘・己など多くの字を包含する「コ」です。 別に自信がある訳ではないのですが、横溝正史ミステリー&ホ…
運営しているクリエイター

#紫色

1.色の始まり

─── 需要があるものは供給されるべきだ   十文字光

 きのうの土砂降りが嘘のように、東京にしては奇麗な青空が広がっている。吉祥寺で井の頭線を降りると南口を井の頭公園へと歩き、加古芳也は十文字の家に向かった。一駅手前の井の頭公園駅で降りて歩いてもほぼ時間は変わらないが、吉祥寺駅南口から公園まで下る途中の、雑多でおしゃれな商店街が加古は好きだった。お香の匂いがしたり、コーヒー焙煎の匂いがしたり

もっとみる

2.紫という印

 野津もさすがに日曜日は休んだが、気分は上の空。月曜日が待ち遠しいくらいだった。妻の史代も、夫の仕事の行動にもう口を出さない。諦めているのではなく、そのほうが夫婦仲はうまくいくことを結婚5年で学習したのだ。
 その頃、加古は寝癖でアンテナを生やしたまま、独自に推理をしていた。報道である程度はわかったが、警察が秘密にしている部分も当然ある。面識のある篠崎さやか、そして弟の陽晴、痴漢被害者の品田和美。

もっとみる

3.アンダーテイカー

  あくる日の水曜日、野津はひとりで色川の事務所を訪問した。仕事で外出があるので15分だけという。それでも急いで確認したいことがあった。きょうの色川は微妙な朱色のセーターに黒のパンツ姿。やけに発達した臀部に野津はつい見とれてしまったが、気付かれないよう、背筋を伸ばした。真面目な性格ゆえ『妻がいる身なのに』と恥じる。
「きょうは何ですか?」
「ああ、いやちょっと。中野の加圧トレーニングのことで。あな

もっとみる

4.β-エンドルフィン

 加古は渋谷のライヴハウスでの小劇団の芝居に慶菜と来ていた。結構過激な演出で、女性が裸になったりするシーンがあったり、本当に水を浴びせたり、常連と思われる客からは称賛の声が上がっていた。特にストーリーはなく、一昔前の不条理劇なのだが、若い世代には新鮮で、加古と慶菜は終始見入っていた。
 観劇後、二人はすでに桜満開の道玄坂途中にある飲食店ビルの中のレストランで夕食を食べた。渋谷にしては安い部類の、若

もっとみる

5.陽炎の奥

 加古は爆睡から目を覚まし、十文字の葬式も忘れて、明日の慶菜との楽しみに胸を膨らませていた。そして春分と気付いて窓の外を見やると、アパートの庭に桜が咲き始めていた。大学も来週の前半までで春休み。いよいよ3年生になる加古。一般教養ともおさらばだ。国文学を堪能したい。温故知新である。本当は古文にあまり興味がなかったが、敢えて国文科にした。
 文学の道しか興味がない高校生で、武道は片手間。それでも剣道二

もっとみる

6.不穏という名の

 その頃、明京大学ラウンジで、高島慶菜は奇妙な光景を目にしていた。寝不足の目を擦っても見間違えはない。演劇部の活動日で、休憩しようと入ったラウンジの片隅、退職したはずの矢野元教授と高校のクラスメイトだった英文科の多和田茜が談笑している。
 高い天井がガラス張りの窓際。学内で最も欧米大学風の場所だ。外には四季折々の花壇が見え、灌木も植えてある。小雨は先程やっと止んだ。
慶菜が、
「茜、どうしたの?」

もっとみる