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「産み育てよ」という呪い

「跡継ぎ」の呪い、「跡継ぎを生まなければならない」という呪いは、いったいいつ消えてくれるのだろうか?

しあんの話を読みながら、私も母や父方の祖母から子どもを期待する言葉を何度かかけられ、そのたび胸が苦しくなったことを思い出す。

母の紹介で結婚した知り合いがいるのだが、その知り合いは夫婦ともに親戚がほとんどおらず、面倒を見てあげられる人がいないから、と子どもが生まれた時のお宮参りや七五三はなぜか母が母親代わりで面倒を見ており、それに私も当然のように参加させられる。
私はその知り合いも子どものことも好きなので、そのこと自体は全く問題ないのだが、そういった行事に参加するたびに、母は本当は自分自身の孫のためにこういったことをやりたいだろうなとビシビシ感じ、それはそれでつらいものがある。

母や祖母の幸せの形とは、すなわちそれなのだ。
とにかく配偶者を得て子どもを産み育て(それも自分のおなかから生まれた子どもを)、ご近所さんと胸を張って井戸端会議できる立場を得ること、それこそが幸せの鋳型だから、そうとしか考えられないし、それを期待する空気を醸成してしまうのだ。
(「〇〇さんのところ最近お孫さんが生まれたんだって」「上司の娘さんは2人子どもがいてやっぱり仕事続けられないって辞めたんだって」)
だから仕方ないのだ、と理解を示したところで解決できるものではないと分かっているけれど。

しあんがいつかは父方の実家へ跡継ぎとして向かわなかければならない、という話は聞いていたが、数百年続く農家の名主の家とは知らず(話聞いてなかっただけならごめん)、正直歴史的な興味が頭をもたげてしまった。
おそらく何かしら歴史的な資料が蔵に残っていたりするのではないだろうか。ずっと同じ家に住んでいるということは、建て替えしていたとしても何かしらの名残はあるだろう。
そういった、「昔」と「現在」のつながりを示す何かが残っていることにかなりときめきを感じる人間としては、ぜひ実家にお邪魔させていただきたいなどど考えてしまうし、正直そういった自分の出自が分かる確たる「家」を持つことに憧れを持ってしまう自分もいる。
(私は長子ではあるが直系の長子ではないため、戻るべき「家」といったものは持たない)

とはいえ、当事者にとって「数百年」という長さ・重さはたまったものではない。
そのうえ「跡継ぎ」。
私なら逃げ出したいと思ってしまうほどのプレッシャーだが、それでも義務感を持ってしまうしあんの真面目さもわかる。
私も同じ立場なら、そんなものに従う必要はないと分かっていても、それまでに蓄積されてきた空気に抗えないだろうと思う。

私の母は矛盾したことを言うなぁ、と幼いころから思っていた。
「私はやりたいように仕事ができなかったから」「家事は本当に大変、私は本当につらい」と言って私たち子どもの存在を否定するような言葉を私にかけたり叫んだりする一方で、「将来は動物学者?ピアニスト?外交官になって世界中を回るのもいいんじゃない?」などと勝手なことを言っていた。そのうえ結局は私に家庭を持って子どもを産み育てるという鋳型にはまることを期待するのだから、本当に勝手なものである。
そんな勝手な押し付けに、私はいまだに苦しんでいる。
呪いだなぁ、と思う。

それでも家の跡継ぎとして生きていくという決意をしたとき、私ならその機会をどう捉えるだろうか?
数百年続く家に眠る資料を手に取り、自分の出自を改めて研究してみる?
「跡継ぎです」と喧伝して婚活してみる?
あるいは養子を迎えるとか?「跡継ぎ」とはいえ、養子を迎えて家をつなげていった例は歴史的にも全く珍しくないし、おかしい発想ではないはず。

大体家をつなげていくという発想自体、いつからあるってんのよ?
それが庶民の間でどれだけ膾炙していたってんのさ?
今「伝統」とされているものが、実は作られていったものだというのは最近明治維新による変化に関する本をいくつか読んで実感したことだ。その言葉の持つ怪しさにいつも疑問を抱いていたいと思う。

時代は変わらないように見えて少しずつ変わり続けている。
案外、私たちがこのまま何も壁にぶつかっていないふりをし続ければ、そんなもんかと諦めてくれるかもしれない。(誰が?)誰かが。自分の中の誰かが。
そうやって、何とか生きやすくなってくれないものだろうか。

近い未来にくるその生活が、しあんにとってほっと一息つける場所があるものであることを、ひたすら願う一心である。

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