他人の幸せは目に見えない
この世の中どこに幸せの基準を持ってくるかなんて人によって違う。昔こそは真っ当に、まじめにを標語に生活して結婚して家庭を持ち、子供が生まれ家族を守り、子供を育てて大人にしていき、起こり得る行事を乗り越えていく、といういまでも一般論として残る半ば儀式のようなものが幸せの代表格だったのかもしれない。ただ、現代社会においてはどうだろうと思うのが本音で。幸せを幸せという形にかかることすら今となってはナンセンスではないかと感じる。
少しずつ、確実にオープンになってきている今、セクシャル