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夜なんて来なくて良かった

非常に自分語りです。いい風に書いていますが決してそんなことはなく、文章も荒れている。(これはいつもか)気分が悪くなったりしたら読むのはやめてください。支障はまったくありません。解決策のないことを延々と述べている会です。オチもない。


高校時代から付かず離れず、お互いがそろそろ会おうかというタイミングが抜群に合う、そんな気の置けない友人がいる。その友人宅へ先日、お邪魔した。

私への愛が強めな友人は、会うなり容姿だの性格だの散々褒め尽くし、最初はやめてと抵抗していた私も年々慣れたもので、ありがとうありがとうと受け流すようになり。しかしその対応もまたいいねえと褒められ、正直終わりがなさそうなので途中でなかった事などにしている。よくしている。

そんな彼とお酒を開けながらする話といえば他愛もなく、近況、思い出、最近の時節柄の事など日常の延長線上にある話さないからと言って支障ないような話題ばかり。でもそういう話は彼にだからこそ何気なく話せて、彼もまた私にだから言えるような日常がある。物事の価値観が似ている、だから話していて苦じゃない。これは私にとってとてもありがたいことだった。

ものすごく人に伝えるのが下手な私は、話す言葉がとても多くなってしまう。これだとわからないかもしれないからこれを足して話した方が、逆にこの話はいらないから減らした方が、そんなことを常に考えているので頭がしっちゃかめっちゃかで、結局なにが言いたいの?と言われることが多々ある。でも彼はなかった。だから考えずに話ができる貴重な友人となったのだ。

時計の針が十一時を指し始めた頃、ひとしきり話したし、そろそろ寝るか。そう言って友人は布団を出す準備をした。普段お酒を飲まない私は、多少酔っていた。ベッド、無駄にダブルなんだから端と端で寝たら大丈夫だよ。布団出したら片付けるの面倒でしょう。のちにこの言葉を発した自分を責めることとなるが、このときはそんなことを微塵も思うわけがないから言い放ったわけで。しかし対した友人はだめだよ、と笑って布団を引っ張り出してベッドの横へと綺麗に敷いた。

そこからまた第二ラウンドといわんばかりにまた話をして、気づけば針はとうに頂上をこえていた。友人も私も次の日仕事だったので、さすがに寝ようと就寝準備へと移った。その時も、ながらで他愛もない話をして、でもそのときは今思えば少し他愛もない、のテイストが変わった何気ない話だった。

好きな人は、いないの。そう問いかけられた私は、いないね。いたら、今日会いに来ないよ。少し自嘲気味に話したのを覚えている。確かに、彼も笑って俺も恋人がいたら呼ばないしなあと零す。そうして準備をし終えた時。じゃあおやすみ、そう言って電気を消そうとした時だった。

「俺と、付き合ってしてくれたり、しないかな」

突然だった。電気を消そうと伸ばしていた手は引かれて、友人の胸に気づけば収まっていた。十ヶ月ぶりに会った私はそれを冗談だと思って、それもいいかもしれないねと軽く流すように相手の背中をさすった。苦しいから離してほしいな。しかし言った言葉とは反対に友人の腕の力は強くなる一方で、私はようやく違和感に気付く。

離して。発した言葉は震えた。嫌だ、今離したらまたなかったことになる。そう彼もまた震える声で言った。言葉に心臓が波を打つ。

この出来事を書くにあたって、馬鹿なのか?そう言われても仕方がないと思っている事がある。というのも私は彼に高校時代、告白されているからだ。当時私はなんで自分が好かれたのか本当に分からなくて、そもそもその時はたまたま話すようになった。それだけの関係だったから余計に、その先を思い浮かべることができなかった私は、いいともだめともいえず彼に君は大切な友人だよと伝えた。彼はと言えば笑って。そうか、じゃあずっと友達でいよう。そんなことを言っていた記憶がある。その後彼は間も無く恋人が出来て笑い合っていた。わたしはそれを見て大切な友人が幸せそうで、何よりだな。健やかだな、素敵だなと、思っていた。だって笑えたことはわたしのことは過去となり、新たな出会いを見つけられたかということだから。

だから今、こうして震えた声で笑う彼にごめんと、咄嗟に出た言葉は自分でもなにに対しての謝罪か、いつに対してのものかわからなかった。

「俺は、別に子供もいらない。してほしいこともない。何も望まない。強要もしない、嫌なことは絶対しない。愛情じゃなくてもいい、恋でもなくてもいい」

他愛もない話の時に私は自分の話をした。子供が自分の人生には考えられないこと、期待されるのが怖いこと、相手に支配されるのが嫌なこと。人を好きになれないこと。そのすべてをつまりは守るという。でも違う、そういうつもりで言ったわけじゃない。彼はむけていった言葉でもなければ、私に合わせてほしいからいったわけじゃない。

一般的な女性の人より強い力のわたしは精一杯、友人の胸を押す。しかしそこは男女の筋肉の差というべきか、敵わず、彼の手は私の頭を掴み胸を押し付ける。もう、これ以上聞きたくない、涙が出た。これ以上は何も生まれない。正直嫌悪感の方が強かった。ひどいと分かっている、けど、無理だった。そして彼も気付いている。ごめん、何度も彼は呟いて、しかし言葉は続く。

「隣にいてほしい人はあなたで。七年間も、あなたに似ている人を探しては付き合った。でも無理だった、会うたびにあなたの言葉はいつも俺の足りないところを補って、生きやすくする。俺がどれだけあなたの言葉に救われたかわからないくらい」

優しい言葉だった。最高の褒め言葉だった。だって私は言葉がとても、とても大切だから!でもそれでもわからなかった。彼の私は何も知らなかった。救ってるつもりすらなかった。だって君は七年間いつも笑って友人だって、そう言っていたから、わたしの幸せを願ってるって、私も君の幸せを願ってお互いにいい人が見つかるといいねなんていってたじゃないか。あれは、全部、じゃあなんだったっていうんだ。私は、わたしの言葉で七年間彼を傷つけていたし、わたし自身も傷つけていたと言うことでは、ないのかと。救っていたかもしれない、他愛もないことで笑っていたかもしれない言葉はいきなり爪を立てた様な気がした。

呆然。精一杯押した胸にもはやもたれかかる。良くはないとわかっていても、涙がどんどん溢れた。七年間、彼は私のことを慮り、友人という関係を恋愛感情を隠して、私を尊重してくれていた。私はそれを友情と信じて大事にしていた。

いまとなって全く説得力のせの字もないが、他人のことにはよく気付く方だと思っていた。少なくとも数少ない友人の機微には。私のことを大切にしてくれて、私も大切にしている人達には。でも違った。結局私は七年間、気持ちに差が生じていることに全く気付けなかった。

「穴を埋めればあなたが荷の無い、友人でいられる関係を築けると思った。でも無理だった。だから一生好きじゃなくてもいい。そばにいてほしい。俺は何にも無いから、せめて生きる意味が欲しい」

次いで出た彼のこの言葉にわたしは心臓を握られるような思いに駆られた。現に人生初の過呼吸をなんとここで経験し、とはいっても程度は軽いが。背中をさする優しさともいえる彼の腕すらも気持ちとして重く、さらにのしかかるような気がしたくらいだ。生きる意味なんて、私という人間には荷が重すぎる。冷たいと言われるかもしれない、ほかにもいつも優しいですね、と言ってくれる人達に何感傷に浸ってんだとか、思わせぶりとか、思われるかもしれないけど。ここまで書いておいてはもうどう思われてもいいと思っている。凡庸な人間なんだ、むしろ劣勢だ。こんな時にうまい言葉の一つもいえないのだから。

話は戻るがなんで今更、どうせなら一生隠しているか、早々に言って欲しかった。そう思った。だったなら私は友人か他人でいられたのに。七年は、いくらなんでも割り切れない年数になってしまった。だから謝ることしかできなかった。私は今の今でさえ彼を友人以外として見れない。付き合えない、ごめん。横目で時計を確認すると針は二時をさしていた。お願いだから、そうまた言われ、私もまた同じ返答を繰り返す。このやりとりは、この夜を超えるには鋭利すぎるんじゃないか、お互い傷に塩を塗り続けなくてはいけないのではないか。鼻をすすりながら結局私達は、朝までオウムのように同じ言葉を吐き出し続けた。途中寝ようと、一応逃げ道を提示したがそうだね、幸いダブルだからねと、言われて数時間前の自分を呪った。寝れるわけがない。不安すぎる。

だからつまり私達が得たものは睡眠不足で、他は何も解決しなかった。おそらくお互い疲弊しきり、私は逃げる様に朝と同時に部屋を出た。一日経って謝罪をしたいと、友達でいいからまたあって欲しいと。そう書かれていらラインが来た。私はと言えば、だったら最初からあんなこと言わないでくれと、憎さの方が勝ち、しかし自分が気づかなかった罪悪感もあるので、謝罪は丁重にお断りし、また気が向いたら連絡をしてくださいと半ば、また逃げるように連絡を切った。

これからどうしたらいいのだろう、この気持ちをどう解決すればまた笑えるのかわからない。

こんなことばかりだ、以前別な人と全く同じ事があった。その時も同じ様なことしか言えず、結局その人とはいま現在も平行線のまま。大前提として主張するが、決してモテるとかそう言うわけではない。あやふやな私にきっと問題がある。だから応えられないものばかりの人生になる。

人にアドバイスをするよりまず、自分を見つめ直した方がいい。皮肉だな、みっともない、しない方がいいとはわかっていても自分に悪態をつくことしかできなかった。終わり。

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