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空へ、海より。

  僕にはギターを弾く友人がいた。ギターのために指先の爪は綺麗に手入れしてあり、冬でも逆剥け1つ無く、引き篭っているせいで病的に白く美しかった。写真を撮ることが好きな僕とは正反対で外に出ても燦燦とした太陽には当たらず、狭い小道でギターを弾くような、風情のある、なんというか、器用なやつだった。

  カメラが好きな僕としては、小道でギターを弾く美しい少年なんて勿体なさすぎる被写体だった。おかげでカメラロールには彼の錆れない美しい姿と音色とで沢山だった。6本の弦と己の手で演奏して魅せた。何でも、僕はその魅せられた側の人間である。どうにも中毒的な音色とその姿に惹き付けられないことは無かった。ギターコレクションを見せてくれた時に一目惚れしてしまった珍しい真っ白のギター。見蕩れていると彼が『それ、あげるよ』とあっさり渡してくれた。タダほど高いものは無いとはこの事だろうと震え上がったのを今でも覚えている。
  彼がよく演奏するのはpopと呼ばれるものや、最近流行りのChillと呼ばれるものでも無かった。…彼は流行りにのれなかったのだろう。引きこもりのくせSNSには慣れていなかった。不思議だった。でも、それ故また独自に美しかった。彼がよく弾いていたのは80年代から90年代の古い曲ばかりだった。新しくても2010年代。今それなの?と思うような曲ばかりだった。でも、やはり恨めない。美しすぎた演奏には息を呑み、言葉なんてどれだけ叫ぼうとしても出なかった。

  夏。陽射しの柔らかい日だったか。気温も風もちょうど良かったから彼をまた小道に誘った。誰かがカメラを持ち歩くように彼はギターを持ち歩いた。
  いつもの小道は避暑地になっていた。建物の2階のベランダから覗く風鈴たちが揺られる音に身を委ね、ゆっくりと座れる場所を探した。   ふと、高い塀に風を感じる。目を向けるとそこには空と海から生まれたような子猫がいた。白い美しい毛並みに、_____________ 瞳が碧かった。流されるようにその子猫について行く。子猫が案内してくれたのは無数の光の筋が射す、水彩画で描かれたような場所だった。ここの小道には何度も来たことがあったが、知らなかった。ひたすらシャッターを斬る。あの猫の写真も撮りたいと思った時にはもう遅く、その姿はなかった。彼はここでギターを弾いた。もう、その美しさは感動というより驚愕の方が似合う。目が痛いほど眩しい。走馬灯を見ているような、彩られすぎた白昼夢のような、とにかく目を開けていられないほどだった。


  今、その友人のためにギターの練習をしている。亡くなってしまった彼のために。もしここにまだ居たのなら、ハーモニクスを教えて欲しかった。どうも手を離すタイミングが難しいんだ。


君が空にいるなら、僕は海になるよ。
そしてあの猫のような幻で儚い美しい音色を奏でたい。
猫が連れてきた世界でこの真っ白なギターで。
僕の背中を夕日が温かく包み込んだ。

  録画の中の僕の仄かな淡い姿は
昔日の彼によく、似ていた _____________

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