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たき火を囲んで

昨夜は、面白い小説を、あともう少しだけ、と読み進めて、かなり遅くになってしまって、しかも、読み終わってすぐに眠れるはずもなく、完全な寝不足状態、それでも仕事がなんとかなるのは、この時期、大して仕事がないのと、行きの電車で眠れるからで、今は自室のスタンディングデスクで、タイピングしている。

心の障壁を越えて言葉を送り、返って来た言葉に浮かれて、また言葉を送ると、そこで言葉は途絶え、何度も繰り返してきたことを、またやってしまい、しかも、おそらく、何もない、悩んでも仕方がない領域のことを、タイピングしていると、さらに眠くなってしまう。

過去を憂いて生きそうになると、今を生きる、とつぶやき、今に中心を持ってきて、今あることに注視して、恵まれていることを数えると、確かに、今あることのなかで、恵まれていることは、山ほどあって、書く時間があることも、そうなんだろうし、眠くなれば、その場で横になることができることも、恵まれているのだろう。

今日を生きる、生きようとするけど、どうやって生き切るのか、何もない今日に何かを見つけることができるのか、なぜ、そのような気持ちが必要なのか、最善を尽くしてきたけど、なぜ、何もないのか、与えるほどに、何もなくなり、過去を越えようとするのは、生きることから抜け出すことで、今日も。

小説を読むと癒され、深く眠れるような気がして、そうやって誰にでも救いの手は差し伸べられるのか、たった一瞬でも救われる思いを味わうことができるのか、長い期間を経て、救いは実現するのか、どうなんだろうか、過去世と現世、あと、なんだっけな。

現実の世界に押し込まれていたから、もっとフィクション寄りに生きた方がいいのか、小説の世界に浸っていると、人生が少し楽になるから、楽になること自体が逃げなのか、生きるために必要なのか、よくわからないけど、欲するものとして、いま手元に小説がある。

架空の世界に没入して、現世を忘れてもいいんじゃないかな、今までにない動きで、いや、過去にあった動きで、楽しみ、面白いと思えることをみつけて、やっていきたいのなら、人に笑われようが、そんなことは、別にどうでも良いから。

今、ここに友がいたとして、たき火を囲んで、炎を見つめながら、いろんなことを話すのだけれど、それぞれの話が終われば、去って行く友は、また集まる場所を知っていて、そんな友は、今どこにいるのか、ぼくは、もう、行かなければならない。

元気で過ごしていますか。元気でなくても良いから、生きて欲しい、生き抜いてほしい。微笑まなくても良いから。


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