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仮面と素顔

家を出るまでの10分ほどの時間を使って朝にタイピングするのは、夜眠りについて、途中目覚めることなく、朝を迎えることができたからで、夜11時半に飲んだ薬は、多少の眠さを感じる程度に今も残っている。

比較的スッキリと起きれたような気もするが、どうせ電車のなかで眠ってしまうだろうし、そういえば最近、電車内に学生が増えてきて、座ることが難しくなってきたから、一駅さかのぼるとか、何か対策を立てようと思う。

ただ眠っている電車内の時間を、もっと有意義に使いたいのは、寝てしまうことに対して罪悪感を抱いているからで、その罪悪感のもう一つ奥に潜むものは何なのだろう。

ある作品が、自ら抱えている何かに触れて、反応することで何かが明らかになり、救いを見出したとして、触れて、認識して、泣いて、微笑んで、そのことで同化して、気持ちが楽になる、そんな作品は大切に扱いたい。

もう少しで、解放する方向に向かうはずで、解放に向かうという認識は、捉えられているという状態を表していて、その状態が気のせいではないのか、と思うくらいに何もなくて、逆に何かに捉えられたくて、このような言葉を発している可能性はある。

ただの寂しがり屋で、そう、寂しいのだと思うし、寂しくて、何が嫌なのかというと、ほんとうの言葉で話をしていないのではないか、ということで、仮面をつけたままで生きている感じ。

誰に対して仮面をつけているのかというと、それは自分に対してで、誰かに対してはそれなりの仮面をつけていて、まぁしょうがないから、でも、しょうがないのかな、ほんとうに。

ひとまず自分に対しては仮面をつけて、仮面を信用しているけど、仮面に乗っ取られていないか、仮面が出す答えを、ほんとうの答えだと思い込んでいないか、仮面と私はどう違うのだろうか、仮面が言うことの方が正しいのではないか、では、仮面が私なのではないのか。

眠くなってきた。電車の中で眠るか。さっきまで雨が降っていた。アスファルトは濡れているはずだ。雨音は聞こえない。エアコンから冷風が吹き出している。部屋の隅から扇風機の音が聴こえる。ダイニングのテレビからパラリンピックの映像に合わせたアナウンサーの声が聞こえる。そろそろアラームがなるはずだ。外の世界に向かう。

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