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君の朝と私

躁鬱で言うところの鬱に向かう途中段階の私は、君と会った昨日の、ある場面で過剰に明るく振る舞ってしまい、深く落ち込むことはなかったが、しんどさが増して、今の状態は微妙。

君に会って、別れて浮かびあがるのは、訊くことができなかったことで、そのことで否定的な感情が出るのは、何もないからだけど、過去の言葉をたどって感情が治まるのは、そこに何かがあるから。

おはよう、と書くと、誰かに語りかけられているような気がして、できれば毎日、小さくても声に触れたいのは、自分勝手だけど仕方なくて、それは私が存在する証だから、言葉にした方が良いと思う。

何かを書くことが体質だとして、その体質を変えることなく生きるためには、体質に合う環境に私を運んでいくことが必要で、そんなことができるのだろうか、そんな道があるのだろうか、そんな運命はあるのだろうか、と疑いながら何かを書けば良い。

眠さが残っていて、電車で座れるのか気になる。深呼吸してから、仕事に向かう準備をする。君はどうしたいの、とノートに書く。ひとまず仕事に向かう、と私はつぶやく。

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