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自分を偽ってポジティブになってみた結果の話

自分を偽るのは良くないです。
ロクなことがありません。
オススメできない。

ぼくは根っからのネガティブ人間で、基本的に物事を悪く考えますし、基本的に他人は悪人であることを前提に生きています。
油断をすると悪い面ばかりを見てしまうので、意識して良い面に注目するくらいでないと、視点のバランスが取れないくらいです。

世の中、ネガティブよりもポジティブが好まれます。
そりゃあネガネガして暗い人に関わるよりは、さっぱりスッキリと前向きな人と関わったほうが気持ちが良いですから、仕方のないことです。

うつ病と長く関わっていると、自分の中からあらゆるポジティブが消えていきます。
全てにおいて後ろ向きになったり、泣きそうなくらいに希望を見失ったりしてしまうので、ときどき「もう少しポジティブになれよ」みたいな事を言われたりします。

そんなこと言われなくても、そうできるんならそうしたいと考えている人は多いんじゃないでしょうか。
当時のぼくも、そうしたかった。
でも、そのときは体中から元気がなくなっていたので、無理でした。

しかたがないので十分に元気を取り戻して、気分が落ち着いて上向いたタイミングでやってみることにしました。
ばっちりとポジティブ思考を身に着けて、辛いうつ病とおさらばです。

こんな感じで、根っからのネガティブ人間がネガティブをやめて、ポジティブ思考に染まってみるとどうなってしまうのでしょう?
目論見通り、前向きで健全な精神を手に入れることができるでしょうか?
うつ病とは無縁の人生を歩み始めることができるでしょうか?

結果、そうはなりませんでした。

ネガティブ思考を禁じることで、強いストレスを感じました。
なぜなら、ぼくにとってネガティブ思考は自然な考えですが、ポジティブ思考は不自然な考えだからです。
まるで体を鎖でがんじがらめにされているかような、とてつもない不自由を感じました。

それと、そういう考えで導き出す答えには、当然のことながら納得感が得られません。
悲観的な予測は一切禁じられているので、無駄に楽観的な結論にしかなりません。

そして一番まずかったのは、ポジティブ思考に疲れすぎたせいか、うつ状態が蘇ってしまったことです。

今から考えると、ついクセでネガティブに考えるたびに、「そんな後ろ向きに考えたらダメだ!」と自分の自然な考えを否定した上に、不慣れなポジティブ思考で納得できない答えを無理やりひねり出すために「やらされてる感」が強くなったのが良くない気がします。

うつ病から脱出しようとすると、↑の、かつてのぼくと同じように、ついついネガティブな自分を否定してしまいます。
あるいは否定まではしていなくても、無理してポジティブを演じ続けた結果、却って疲れてしまったりする人も多いんじゃないかと思います。

もしあなたがそうであるなら、それは続けるべきではありません。

ポジティブになるために自分を否定してしまっては、本末転倒です。
それは自分に嘘をついているのと同じですし、パワハラ上司に考え方を支配されているのと本質的に変わりません。
自分の手で自分らしさを禁じるのか、パワハラ上司によって自分らしさが禁じられるのか、それだけの違いです。

ぼくが自分を否定せず、ネガティブでありながらも前向きさを得られたのは、自分を否定することをやめたからだと思っています。
ネガティブな自分の長所を理解し、納得することで自然とそうなりました。

ネガティブの長所については、こっち↓で少し自慢げに書いています。

だいたいぼくのように、根っからのネガティブタイプの人は、そもそもポジティブの物差しで自分を図ってはいけないんです。
それは別次元の物差しなので、どうしたって落第してしまう運命なんです。
だって、頭のてっぺんから爪先までネガティブなんだもの。
ポジティブ要素ないよ。

それにポジティブなんて、真似してやれるものじゃありません。
どう考えても失敗する可能性が7割とか8割あるのに「たぶん大丈夫だから!!なんとかなるって!!!」なんて、正気の沙汰とは思えません。
ぶっちゃけ現実逃避にしか見えません。
でもそう言える人にとっては、きっとそうなんです。
もはや理解できる話ではありませんし、そもそも別にそんな良くわからないポジティブなんて、少なくともぼくはいりません。

でも、それでいいと思います。
きっとそういう自分を、自分自身が積極的に認めないといけないんです。
今まではそれができなかったから、うつ病だったんです。

ぼくは明るい誰かではありませんし、ポジティブな誰かにはなれません。
ぼくのぼくでしかないし、ぼくはぼくのままでいるべきなんです。

これが13年だか14年かけて導き出した、ぼくのこたえ。

ーおしまいー

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