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機械の命ずるままに言葉を選んでいませんか。言葉の自由について。

言語を機械任せにしていいのでしょうか。

この問いかけを考えてみます。

<横浜>という街には5つの表記があり、不思議にも、それぞれがかなりの頻度で使い分けられています。なぜなのでしょうか。

「横浜」「ヨコハマ」「YOKOHAMA」「横濱」「よこはま」

この5つが使い分けられています。横浜名を冠した曲をみてみると、

「よこはまたそがれ」
「ブルー・ライト・ヨコハマ」
「追いかけてヨコハマ」
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
「ヨコハマ・チーク」
「横浜イレブン」
「YOKOHAMA  Twilight Time」
「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」
「横濱行進曲」
 etc・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、5つがいろいろ。実は都市名のついた楽曲中、横浜名のついたものはいちばん多いと言われています。検索するとその多さにびっくりすると思います。

異国情緒、港町、美しい夜景、異邦人、海、カモメ、外人居留地、中華街、赤レンガ、みなとみらい、観覧車、赤い靴、みなとの見える丘、ベイスターズ・・・などなど、そのイメージの多様性と豊かさが特徴ですね。イメージ喚起力がとても強い街と言えます。

このイメージの多様性と豊かさ。ここが大きなポイント。つまり、イメージが人の脳や心をあれこれと刺激し、いろいろな思いが生まれると、選ぼうとする言語が多様になってくるのです。

以下、僕のイメージです。

「横浜」は、横浜駅に着いた時に、あ、ここが横浜、と思う感じ。「街」より「市」とか「都市」な感じ。少し行政的な匂いもします。

「ヨコハマ」は、日常を抜け出して、二人でデートをしている感じ。潮風に吹かれながら、また来ようね、なんて囁いているイメージ。二人は少しおしゃれな服で、夜景のなかにいるのかもしれません。

「YOKOHAMA」は、国籍不明の匂い。日本にいるのだけど、ふと次元をすり抜けて、どこの国だかわからない土地に「私は今、います」感です。ジャズやブルースが聞こえてきます。

「横濱」は、明治、大正、昭和の初期な感じです。赤レンガ倉庫なんかは、横濱赤煉瓦倉庫と表記したいほど。過去の物語のロマンを表現する時には、ぴったりです。人力車が走っていたりもします。

「よこはま」は、幼い時の記憶にあるような街。心のどこかにあるイメージ。ひらがなだから、柔らかく優しい心ざわりがあります。

「ハマっ子」の僕はそんなイメージを使い分けて、いろんな「よ・こ・は・ま」を使ってきました。
じぶんの思いを表現するには、どの言語がぴったり来るのかと模索・思考してきたのです。順番は、じぶんの思い→どの言葉にするか。ここが第二のポイントです。

ヒットラーは(いきなりですが)、「多面性を徹底的に排除した言葉を繰り返す」、「・・別の見方や新しい観点といったものは大衆に供給せずに、限られた事柄に対する紋切り型の主張を繰り返し拡散すること・・」を意図してプロバガンダを行いました。
(古田徹也「言葉の魂の哲学」第3章より)

規定の言葉を付与することをし続けると、人間は思考性を失う。そのことを彼はよく知っていました。自らの思考性を自由に羽ばたかせるためには、言葉を選ぶ手間をかけないといけない。それが僕らに残した彼の大きな教訓です。

今、言葉を手で書く人は減少し続けています。言葉はパソコン、スマホといった機械を経由して発信され、特定・不特定の誰かに届けられます。しかも、この習慣はこの20年くらいで定着したものです。それはテクノロジーの進化であり、コミュニケーションの新しい可能性を拓いたと言えます。

手書きの特徴の一つに、言語・文字の表記を迷うことがあります。間違える確率も高いと言えます。この「迷う」「間違えやすい」という欠点が僕たちに与えるものが「思考の自由」です。そして言葉を選ぶ責任も付いてきます。

文字変換が主流になってくると、一番初めに変換文字として現れた言葉・文字を無意識に選ぶようになっていきます。僕もそうです。今さら手書き文字の時代には戻れません。ですから、僕らは意識的に言葉・文字を見つめないといけないんだと思います。

日本の四季はあなたのこころの故郷です。

というキャッチフレーズが思い浮かんだとします。コピーライターの僕は、意識のスイッチを働かせ、これでちゃんと伝わるのだろうか、相手の気持ちに入っていけるだろうかと自分に問います。書き換えます。

①日本の四季は、あなたのこころの故郷です。

②日本の四季は、あなたの心の故郷です。

③日本の四季は、あなたの心のふるさとです。

僕でしたら、最後の③を選ぶように思います。理由は、実に曖昧ですが、「しっくりとくる」からです。

あなたはどうでしょうか。違う「しっくりくる」があるかもしれませんね。それはそれでいいことです。
どれもたいして違いはないよ、にだけは絶対ならないで欲しいと思います。


振り返ると、この「しっくりくる」「こない」をもう40年以上続けてきました。機械でなく、誰かのお仕着せでなく、言葉を表してきたことに少しの自由と誇りを感じています。


(おわり)


*写真はある日の「横浜港」。この場合も「横濱港」「ヨコハマ港」「 YOKOHAMA港」「よこはま港」と表記できそうですが、あなたはどれがしっくりくるでしょうか。




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